新聞特太明朝体と見まがう游築36ポ仮名書体

techo1

「暮しの手帖」の表紙に使われている書体は、写植時代を知っているデザイナーなら、YSEM(写研の新聞特太明朝体)と思うでしょう。ぼくも懐かしくて保存してある写植書体見本帳を引っ張りだして確認したところ、微妙に違います。で、ネットで調べたら、游築36ポ仮名書体であることが分かりました。

大日本スクリーンの「ヒラギノ書体シリーズ」の「ヒラギノ明朝体」と「ヒラギノ専用仮名書体シリーズ」の「游築36ポ仮名」で組版されているものと思われます。

techo2

ウエイトは表紙がW6で、右の本文中のタイトルはW3だと思います。本文そのものは仮名書体を使用せずに組んでいます。書体のサイトによると「游築」は「ゆうつき」と読むそうです。さらに読み進むと、東京築地活版製造所の「築地体三十五ポイント仮名」をもとに「游築36ポ仮名書体」が新しくデザインされたことが分かります。タイトルをクリックすると大日本スクリーンの「千都フォントライブラリー」サイトにリンクしています。書体見本も見やすく、歴史的背景に言及した解説も非常に充実したすばらしいサイトです。

「暮しの手帖」を買うことはほとんどありません。朝刊の広告を見ていたカミさんがスープの作り方が参考になりそうだと、買ってきたのを見たわけですが、ひさしぶりに文字組版の美しさを楽しみました。

 

かつて5年間使い続けた Mac OS 8

1141303122Mac OS 8 はおそらく一番長期にわたって使用したOSです。Power Macintosh 7500/100 を購入したのは1996年1月、これに付属したOSは、漢字Talk7.5.2でした。このOSから「Open Transport」が搭載されたのですが、とても不安定で7500/100マシン不調の原因でした。次の7.6、そして8とOSの進化とともに7500/100は安定しますが、初期にはフリーズの嵐で大変な思いをしたものです。こんな事情もあり、OSは常に最新のものを使っていました。

「OS 8」の登場は1997年。写真のパッケージには「Mac OS 7.6 to 8 アップグレードキット」のシールが貼ってあります。おそらく、7500/100の不調対策のためにすぐに求めていたのでしょう。半年後の1998年初頭に8.1が登場しているからです。正確にはこの「Mac OS 8.1」こそ長期にわたり使い続けたOSでした。つまり、QuakXPress3.3をメインソフトとするDTPの作業環境で一番安定していたのです。だから、1999年2月に「PowerMac G3 DT233」を購入するのですが、当時はOS 8.1 で起動できるマシンは中古市場にしかありませんでした。それもひっぱりだこで、予約を入れておいて入手したものです。

だから、1998年10月の「Mac OS 8.5」、1999年秋の「Mac OS 9」そして2001年の「Mac OS X」と続々と発表されていくOSに対して、ぼくは無関心を装っていました。これは「漢字Talk1.0」からつねに最新OSを使い続けていた身としては、かなりつらいことでした。DTPのオペレータをしながら、挫折しながらもひたすらHTMLの勉強をつづけたのは、仕事でOSを限定されたくないという強い想いが働いていましたよ。

で、「Mac OS 9」を使うのは、2002年11月、iMac 800MHz 17インチフラットディスプレーモデルを購入してからです。これには「Mac OS X 10.2」とともにブートできる「Mac OS 9.2」がインストールされていました。だから5年間も「Mac OS 8」を使い続けていたんですね。テクノロジーのすさまじい進化の中で、その5年間はとても長いものでした。

スエーデンの Fredrik Kronkvist Quartet / MAINTAIN!

タワーレコードでジャケ買いしました。スエーデンのアルトサックス奏者です。アルトをぐいっと前に突き出したこの精悍なツラ構えのジャケットを見たら、どうしても聞きたくなりました。
ビッバップのパーカー、Subconscious-Leeのリー・コニッツ、Something Elese のキャノンボール・アダレイ、Take Five のボール・デスモンド、フリージャズのオーネット・コールマンなんかがレコードで聞いた印象的なアルトサックス奏者。そして1970年代、何度も生で聞いた阿部薫。そして、2004年12月のnuThindsでのSleep Walker の中村雅人、同じ nuThing での2005年5月と12月の native の中村智由。

アルトサックスって特別な感じがしています。・・・奏者と楽器の一体感を強く感じます。とても似た楽器なのに、テナーサックスとはちょっと違う。テナーサックスが嫌いというわけではありません。ソニー・ロリンズやコルトレーンは上記に名前をあげたミュージシャンよりずっと聞いている。なのに、アルトサックスの演奏で、はまる時って、テナーとは次元が違うような気がしてます。

この Fredrik Kronkvist Quintet の Fredrik Kronkvist もとてもいい感じのアルト奏者。買って満足でした。曲の導入部にはクラブジャズ風な感じがしないでもないけど、インプロビゼーションに入るとフリージャズ。でも、冷静な抑制が効いているようで、すこしソフトなフリージャズといった感じです。

Fredrik Kronkvist Quartet / MAINTAIN!
Fredrik Kronkvist, as
Daniel Tilling, p
Martin Sjo¨stedt, b
Daniel Fredriksson, ds
All composition by Fredrik Kronkvist
Recorded 5 & 6 november 2004

Font/DA Mover の思い出

1138103732ビットマップフォントに想いをはせていたら、忘れていた SuperPaintなどを思い出してしまったのですが、もう一つ、強い印象が残っているものに Font/DA Mover があります。PSフォントやTTフォントは決まったフォルダに入れるだけで、マックが認識してくれますが、ビットマップフォントの頃はそんな簡単ではありませんでした。買ってきた市販のフォントはシステムに組み込んで使うようになっていました。その組み込み作業に Font/DA Mover を使ったわけです。

1138104889上が Font/DA Mover のアイコン、右がその作業画面です。残念ですがどちらもスクリーンショットではありません。ビットマップフォントの Fluent Fonts のマニュアルをスキャンしたものです。Font File をダブルクリックすると Font/DA Mover が立ちあがって、図の作業画面になります。ここでは、右側に Font File の中のフォントが表示されています。左側はシステムにインストールされているフォントです。Portland 24 というフォントを選択し、Copy ボタンをクリックすると、希望のフォントがシステムにインストールされます。これだけのことですが、ぼくはこれを理解し、使用できるようになるまでにけっこうな日数を要しました。その代わり、できたときの喜びは今でも記憶にあります。

ついでに、DA とはデスクアクセサリーのことです。確かシステム7になってマルチファインダー機能が搭載されるのですが、それまでのマックは一つのソフトしか立ち上げることができませんでした。それでは全く不便なのですが、アップルメニューから呼び出すデスクアクセサリーと呼ばれるたくさんのソフトがありました。ペイントソフトを使用しているときはデスクアクセサリーのエディタを立ち上げて文章を書く。逆にワープロソフトを使っているときはドローのデスクアクセサリーで図を書くなんて使い方をしていたのです。そのデスクアクセサリーもフォントと同じようにあらかじめ、システムに組み込んでおくわけで、それを Font/DA Mover で行ってたというわけです。

OS X に比べるとずいぶんと素朴な作業環境に見えますが、フォントを自分で管理していたというワクワク感は当時の方がまさっているように思えます。

ビットマップフォント Cairo の思い出

1137946566マックプラスを買ったのは1987年12月でした。特に何をするという目的はなくて、ただそろそろコンピュータに親しもう・・・という考えからでした。はっきりとDTPという目的意識を持ったのはPSプリンタを購入した4年後のことです。それまでは、何をできるわけでもなく、バンドルされていた HaperCard でひたすら悪戦苦闘していました。そうこうしながらも、マックに対して次第に愛着を抱いていくわけですが、その理由のひとつにシステムフォントの「Cairo」があったはずです。

1137947926当時はビットマップフォントしかなくて、拡大するとご覧のようにドットがはっきりと見えました。それでも、9インチのモノクロモニターに12ポイントで表示された時の美しさったらなかったですね。現在は True Type の Cairo が入手できます。タイトルをクリックしてください。
ここに表示した Cairo は残念なことにビットマップではなくて、画像編集ソフトで True Type を24ポイントで印字して、アウトラインにしたものを拡大表示して、スクリーンショットしたものです。ビットマップのオリジナルに近いけれど、同じではないでしょう。同じだったとしても、9インチモノクロモニタに表示されたときのあの感動を味わうことはできません。

ビットマップフォントを使っていた頃

fluentFonts

1987年後半にマックプラスを購入してから、Adobe Type Manager と PS Font を使い始めるまでの数年間は、ビットマップフォントに夢中になっていました。写真は「Fluent Fonts for the Macintosh and the ImageWriter」のマニュアルの表紙です。800Kフロッピーディスク2枚に65フォントが入っていました。システムフォントだけでは満足できなくて買ったのはこれだけではありません。特に何に使うという目的があったわけでもないのに、よほどビットマップフォントがおもしろかったんですね。

ImageWriter はプリンターです。ぼくの使っていたのは正確には ImageWriter II です。144dpiのドットインパクトプリンタです。モニター表示が72dpiですから、絵文字なんかもデータを2倍のサイズで作って50%で印字するとけっこうきれいに印字できたものです。

当時はそんな遊びにうってつけのソフトが Silicon Beach Software の SuperPaint でした。ペイントソフトの MacPaint と ドローソフトの MacDraw が一本のソフトになったものでした。使用するソフトはもっぱら SuperPaint がメインでした。ちょっとした書類からシールまでいろいろと工夫しながら使っていたものです。SuperPaintが懐かしい人は「どどどのSuperPaintこれくしょん!」 へどうぞ。タイトルをクリックしてください。

ロバート・ジョンソンに思い入れる

The Complete Recordings4日ほど日記を休んでたんだ・・・。この数日は12月から始まったサイト制作の仕事が大詰めで日記どころのでなかったです。あと、フラッシュで作る動画が一つ残っているけど、金曜日にはてんてこ舞いの修正作業を終えて、ほぼ完了。この間、年末も正月もなかった。のび放題の髪も14日は理髪店へ行って、さっぱりとしました。で、日記です。

何日間もほぼ缶詰状態で仕事をしていると、気持ちが煮詰まるというか、ちょっと大変です。こんなとき、普段は好きなジャズよりも、ブルース! 平本アキラ氏のコミック「俺と悪魔のブルーズ」の影響で、ロバート・ジョンソンを聞きまくったこの数日でした。今、聞いているCDは1990年代前半に買い求めた 「Robert Johnson The Compliet Recordings」のボックス入り2枚組です。1970年代後半、それまで聞いていたフリージャズから突然、パンクロックに鞍替えしたのでした。そして、ニューウェブロックと。そのロックも1980年代後半には聞くべくレコードを見失い、ローリング・ストーンズ、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンと時代を遡り、90年代にブルースに達したのでした。主に50年代録音のブルースを聞いてましたが、伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンに行き着き、CDを買ったはよかったのですが、「またしても」、全く分からなかった。

と、いうのも、ぼくは1970年代前半、天王寺の伝説のジャズ喫茶「マントヒヒ」に入り浸っていたときのことです。そこは、JR「天王寺駅」と近鉄「阿倍野駅」のある繁華街から西成区の遊郭「飛田」に通じる路の途中にありました。その路は遊郭へ行き帰りする客めあての小さな飲み屋が軒を連らね、ビンク色したお店の照明がもれるのれんからおかまの客引きが顔を出し、ギター抱えたナガシが行き交うという、まるでブルーズな路でした。余談ですが、まだ無名の「憂歌団」がマントヒヒから少し天王寺よりの一杯飲み屋の「三喜屋」で食事をしている姿を見ることができた頃です。

あ、前置きが長くなりました。マントヒヒはフリージャズオンリーのジャズ喫茶でした。昼間はロック喫茶、夜がジャズというわけです。夜な夜な、日付の変わってもなお、深夜までたむろしていたものでした。そんなある日「憂歌団」のファンでもあったマントヒヒ常連のNがぼくに好意を持ってくれて、一枚のレコードをプレゼントしてくれました。ジャケットは今でも鮮明に覚えています。黒人のブルーズマンが壁に向かい、レコーディングしている様子を描いたイラストです。ロバート・ジョンソンのアルバムでした。

1970年代に初めてRJを聞き、20年後にCDを買ったけれど、ぼくには彼のブルーズが分かりませんでした。どのくらいわからないかというと、曲の区別がつかない・・・。みんな同じように聞こえてしまうのです。70年代、せっかくの好意も実りませんでした。それが、30年以上たって、突然、ロバート・ジョンソンに目覚めたというわけです。

思い出の QuarkXPress

11368778631992年7月2日に QuarkXPress 2.04J を購入しています。初めてのマック、Macintosh Plus を買ったのが1987年12月ですから、およそ6年弱かかってマックが仕事で使えるところまできたことを物語っています。QuarkXPress をインストールしたのは1991年1月購入のSE30でした。9インチモノクロモニターのSE30ではQuarkは難しい。そのときは、SE30に13インチカラーモニターをつないでいました。ツール類は本体の9インチモニタに、作業スペースを13インチモニタに表示するなんて使い方でした。1992年2月には PSプリンターの OKI Microline 801PS+F を買っています。これはすごく高価でした。お金もないのに、DTPのプロになる・・・という意気込みだけで導入したようなものです。同年10月に、Macintosh IIci です。これには、21インチのモノクロモニターをつなぎました。マックによるDTPの仕事が本格化していったのでしょう。

マックとQuarkXPressを中心にすごい熱気が渦まいていました。当時、ぼくはそれら機材を主に長い付き合いのある「画材専門会社いづみや」さんから購入していました。そのころ、今の社名である「.Too」に変更したんですね。.Tooが年に2回ほど開催する展示回も回を重ねるごとに大きくて立派な会場に変わっていきました。その他にも、得意先を対象にしたQuarkXPressのセミナーなども頻繁に行われていました。

そんなDTP初期の頃の.Tooで行われたプロペラアートワークスの江並直美氏のセミナーは印象深く、記憶に残っています。確か、QuarkXPressで印刷用のトンポを素早く作るなんて、ことを受講者に伝授していました。別にたいした技ではないのですが、当時のQuarkは自動トンボ機能がなかったし、なによりもまだまだ受講者のレベルが低くく、拝聴するという感じでしたね。実は、まだマックのない、ハンドワークによるデザインの時代、ぼくは江並氏とは仕事上の付き合いがありました。氏の主宰する事務所が近所でお互いに行き来していましたが、氏が職場を東京に移してからは交流も途絶えていたところ、マックのDTPの時代になるやセミナーや雑誌の執筆などでたちまち有名人になっていました。いろいろと勢いのある時代でした。

1136883432

上のパッケージは PowerMac版3.3。左の写真の左上、PowerMac版3.3のディスクケース、その右は68K版3.3、左下は始めて購入した2.04。その右は3.11の各ディスク。実は1994年、68K版3.3からPowerMac版3.3へのバージョンアップの際、その事務手続きに日数がかかるということで、新たなにPowerMac版3.3をすぐに購入したのでした。ハードウェアプロテクトに不安があったので、バックアップのために2本を所有する気持ちになったわけです。思い出も掛けた資金もたっぷりのQuarkXPressですが、現在はバージョンアップもしていないし、インストールもしていません。というかぼくの今のマックに3.11はできません。

iTunes Music Store で初めての買い物

1136782795この数日はコミックの影響でブルーズを聞いてます。平本アキラ氏のコミック「俺と悪魔のブルーズ」巻末の鮎川誠氏の解説を読んでいたら、クリームの演奏する「クロスロード」がどうしても聞きたくなり、iTunes Music Store で買いました。初めての買い物です。1曲だけ150円にクレジットカードを使うのもなんだなと、Apple Store 心斎橋で2,500円の iTunes Music Card を買ってきました。1日から初めて人混みへの外出!(嬉)。このカードのせいか、購入はとても簡単でした。

音楽はアルバム単位で聞く習慣がとても長く続いているので、曲単位での購入には違和感があったわけです。でも、いまさらクリームのアルバムでもないだろう・・・と思ったわけです。

曲は Robert Johnson の「Cross Road Blues」をCream がカバーしたもので、アルバム「Wheels of Fire」の中のライブバージョンがだけが見つかり、それを購入です。iTunes で音楽の聞き方が変わっていくことを実感しました。そーそー、せっかくだからもう少し買おうと思いましたが、たくさんあるみたいですが欲しいものは案外、なかったです。これからに期待です。

2005年最後の日に、思いでのつまった Bill Evans / Waltz For Debby を聞いていたら

ビル・エヴァンスの「Waltz For Debby」は「Sunday At The Village Vanguard」と共に1961年6月25日のヴィレッジ・ヴァンガードのライブ演奏としてとても有名なディスクです。ぼくはこれを1965年頃、この11月に他界した赤坂B-flatのマスター杉谷宏幸の部屋で初めて聞いています。宏幸は同じ歳のいとこで、そのとき、同じビル・エヴァンスの「Portrait In Jazz」と「Explorations」と並べて、ぼくに熱くジャズを説明していたことを覚えていますが、内容はもう記憶にありません。でも、その時はじめて耳にするビル・エヴァンスのサウンドと「Waltz For Debby」のレコードジャケットの美しさに見ほれていたことは鮮明に覚えています。

宏幸の部屋でぼくはたくさんのジャズレコードを聞きました。スタン・ゲッツ、オスカー・ピータソン、デイブ・ブルーベックそしてジョン・コルトレーン・・・宏幸はそれらの入手したばかりのレコードに針を落とした後にぼくにそのレコードジャケットを手渡すのですが、その楽しい表情は40年経った今も覚えています。それらのレコードの中でも、特に印象に残るジャズはこのビル・エヴァンスとコルトレーンでした。

21歳、ぼくは生まれ育った地を離れ、宏幸と会うこともなくなりました。いつしかぼくはフリージャズファンの集まるジャズ喫茶の常連でした。そこはコルトレーンやアイラーのフリーインプロビゼーションを信奉し、ジャズは黒人のものであるという原理主義者の集会所のようでしたね。そこでは白人ピアニストのビル・エヴァンスの名を出すことさえはばかれる・・・というのは冗談ですが、ま、それに近い感じはありました。

1970年代後半はフリージャズの時代が終わり、パンクロックそしてニューウェイブロックが到来しました。ロックがビッグビジネスの対象になる1980年代は聞くべく音楽を見失い、一時はブルーズのレコードを集めたりもしました。その80年代後半、コンピュータのマックを買うと、もう音楽を聞く必然性を失いました。不況とテクノロジーの激変の中で経済的にも精神的にも音楽を聞くゆとりをなくした10年間がありました。大量のレコードを売り払い、ひたすらマックにお金をかけましたね。

2000年を過ぎた頃から、やっと音楽を求める気分になりました。懐古趣味的気分でジャズのCDを・・・ビル・エヴァンスの「Waltz For Debby」と「Sunday At The Village Vanguard」を買いました。そして、ぼちぼちとBlueNote盤の50年代ジャズを聞き初めて数年後の2004年、元ロックマガジン誌の阿木譲氏と20年ぶりに再会するのですが、氏が今はジャズだ、という言葉に衝撃を受けました。常に時代の針のように尖った最先端の感性を鋭敏にキャッチする阿木氏がなぜ「ジャズ」なのか、全く理解することができませんでした。

阿木譲氏の「jaz’ room nu things」に通い始めて1年半、やっと氏の語る「ジャズ」の意味が分かりかけてきたところです。未知だった北欧のジャズも知りました。驚くことにその現代のジャズから50年代のジャズがよみがえってきました。それは懐古趣味ではなく生き続けるジャズです。50年代ニューヨークのセロニアス・モンクやチャーリー・パーカーの深夜のジャムセッションがとぎれずに続いている、そんな思いです。

よく、映画にあるでしょう・・・。ファーストシーンが現実の時間で、少ししてカメラがパンして映った映像は過去、そこから物語が始まるという映画はよくあるでしょ。今、ぼくは手にした「Waltz For Debby」のディスクを眺めていると、それは宏幸から手渡されたレコードジャケットになっていたというわけです。2005年12月31日、徹夜で朝を迎えた早朝の出来事です。

Waltz For Debby
Bill Evans Trio
Bill Evans p
Scott LaFaro b
Paul Motian ds
Recorded in performance at the Village Vanguard,
New York City, June 25, 1961
Riverside