夜のパパ / マリア・グリーペ 著

ユリアという小学生、たぶん4年生ぐらいの少女と、彼女が夜のパパと呼ぶ青年がいる。二人の間にスムッゲルという名のフクロウと、二人が「夜の女王」と呼ぶ鉢植え植物がある。一羽の鳥と一鉢の植物が二人の間で触媒のような働きをしながら、ユリアと夜のパパの交流がときに緊張を、ときに優しさを与えてくれる素晴らしい児童小説。

ユリアの母親は看護師をしているシングルマザー。ユリアは始めから父親を知らずに育ち、父親を欲しいとも思っていない、気丈で繊細なこころを持った少女。夜勤になった母親はユリアの希望も聞かずに、夜中に過ごしてくれる人を新聞広告で募集する。ユリアは自分はもう大人だから夜だって一人で平気、と怒り、彼女が寝てから家に来ることを条件に母親の提案を受け入れる。

しかし、ユリアは最初の日から、顔を見ないままに、夜のパパの繊細なこころを見抜き、お互いのこころの交流を予感する。そー、映画『シベールの日曜日』にそっくりだ。シベールは両親に見放されて寄宿舎で暮らすユリアと同じぐらいの少女。日曜日の面会日、誰も来ないのを知っていて一人佇むシベール。修道女は記憶喪失の青年ピエールをシベールの父親と早とちりをする。その間違いを利用して、寄宿舎から外出するシベール。ピエールを利用したはずなのに、すぐに特別な相手であることを知るシベール。

ユリアと夜のパパ、シベールとピエールはとても似ている。特に会話をリードするのは少女の方だ。これはおもしろい一致だ。映画は1962年のフランス映画。本書は1968年のスウェーデンの児童向けの小説。十代半ばの少女と2、30歳代の青年のこころの交流を描くことは、今ならとても難しい。ぼく自身、この小説や映画をこのように賞賛すること自体に少なからず緊張をともなっている。・・・今は、こういう時代だ。

『シベールの日曜日』では悲劇的結末を迎えるが、『夜のパパ』の方は、鉢植えの植物「夜の女王」とフクロウのスムッゲルの劇的な行為により、ユリアと夜のパパはより強いきずなに結ばれていることをお互いに自覚して、終わる。

夜のパパ
著者 マリア・グリーペ((c) Maria Gripe, 1968)
訳者 大久保貞子
発行 ブッキング、2004年8月
本書は1980年にはじめて翻訳が出版されているが、長い絶版状態にあり、「復刊ドットコム」によって発行された新版。

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カテゴリー: 読書