2003年アメリカ映画、ジョセル・ラモス監督。
(最初の字幕)
「60年代から70年代初頭、ニューヨークのクラブではジュークボックスにより音楽がかけられ、また、クラブは市の激しい規制を受けていた。社会的に不安定な時代であり、人々はダンス・パーティでそうした不安を発散させた。その水面下で、新しいカルチャーが誕生し、ダンス・ミュージック・シーンの草分け的運動がおこっていた。」
(路を歩く男のナレーション)
「オアシスのようだった。まるで、自宅のリビングルームにいるような感覚。しかも、ただいるだけじゃない。社会的な制約から完全に解放されている。あれはダメ、これはダメなんていうヤツは存在しなかった。そう、このファミリーのルールはひとつだけ。『仲間を愛すること』。これは許容できる。このオアシスは自由溢れる空間だった。今は自分の一部を失ったみたいだ。家族の一部を・・・。
懐かしいのは空間そのものじゃない。その空間に存在したコミュニティがあの頃の記憶をよみがえらせる。DJをはじめとして、参加しているすべての人々、誰も彼もが世界と対立していた。そして、共に生き延びた。」
フィルムは伝説のクラブ「パラダイス・ガラージ」の入り口を映している。
この最初の字幕とナレーションがこのドキュメンタリーの全てを語っている。
17歳でクラブ「ギャラリー」をオープン、DJ / リミキサーのパイオニア、ニッキー・シアーノが、ネコを抱きながら、DJラリー・レヴァンとの1972年の出会いを語りはじめる。ラリー・レヴァン、クラブ「パラダイス・ガラージ」で、現代のクラブ・カルチャーの基礎を築いたDJ。このレヴァンへの人々の回想をメインにしたドキュメンタリー。
プライベート・パーティ「ロフト(1970年~1974年)」の創設者、デヴィッド・マンキューソの貴重な証言。
「今だって場所はある。でも経費がかさむ。金を持ってるヤツが来れて、ないヤツは来れないクラブには絶対にしたくない。手頃な値段じゃなきゃいけないんだ。マンハッタンではそれは難しい。俺に金があれば何とかなるけどな。ロフトではかろうじて工面していた。いろんな経済状態の人々が交流しないと社会は発展しない。それが大切だ。」
街のクラバーの証言。
「ロフトは魂よ、私たちの心なの,ガラージはパーティ、ロフトは『愛』なの。」
60年代後半のサンクチュアリーのDJ フランシス・グラッソが、1969年6月のニューヨークのストーンウォールの反乱を語る。これは、ゲイバー「ストーンウォール・イン」の家宅捜査に抗議した暴動を端緒とする、同性愛者たちの警察への一連の抵抗運動。
当時のニューヨークでは男同士で踊るのはタブーだった。ストーンウォールの反乱後は男同士でも踊れるようになった。時代が動いた瞬間だ・・・と、グラッソ。
DJ / プロデューサーのダニー・クリヴィットは、フランシス・グラッソとサンクチュアリーは歴史を変えた。今日のアンダーグラウンド文化に向かってね。ゲイ・プライドの始まり、と。
80年代初頭、エイズという病名のなかった時代のエイズの惨劇も証言される。「エイズは、ひとつの時代を完全に抹殺したんだよ。才能あふれる優秀な人間を消した。」と。
という具合に、60年代後半のフランシス・グラッソによるクラブ・カルチャーに影響を及ぼしたムーブメントから、70年代のクラブ・シーン。そして80年代のエイズ。
フィルムはニューヨーク クラブ・カルチャーの原点を生々しく現代に伝える。当時のガラージやロフト内部の映像も挿入されるが、基本は、当時を知る、DJ やプロデューサー、ダンサー、クラブ・スタッフの証言がほとんど。その証言が重くて濃いので、思わず引き込まれてしまう。じっと、耳を傾けていると、70年代、80年代のニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンが浮かび上がる。
プライベート・パーティ「ロフト」の創設者デヴィッド・マンキューソが語る、「ロフトはプライベートな場所だ。オーバーグラウンドになる必要はなかった」、と。重い。
時代を変えるパワーは、オーバーグラウンドにはなくて、アンダーグラウンドにこそあることを、このドキュメンタリーは教えている。