森健 著 / インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?

Unknown10日前に同じ著者による『グーグル・アマゾン化する社会』を読んだばかりだ。それを読んだせいで本書も読みたくなった。1週間程前の朝日新聞に出版社による本書の広告があったので、同じような読者が多いのかもしれない。前者は2006年9月発行、本書は2005年9月と1年古い本というわけだ。内容も重複している。しかし、『グーグル・アマゾン化する社会』を読んだ上でも、さらに本書を読む価値は十分にある。内容が具体的で詳しい。もう一つ、

「本書は講談社のネット媒体『Web現代』(現『モウラ』)で連載した『ITは人を幸せにするか?』をベースにしている。だが、連載時の記事をそのまま利用したものは多くない。本書の3分の2は書き下ろしであり、『Web現代』連載時とは主観的な考察を全面に出した点が大きく異なる。」(本書「あとがき」より)

このように著者本人が書いているように、「主観的な考察を全面に出した点」が本書をおもしろくしている大きな要因だとぼくは感じている。

「『われわれはネットワークのコードによって思考や行動もコード(規定)されつつある』と言えるだろう。」(「エピローグ」p327)

本書は四六時中携帯電話に依存する女子中高生や出張先でネット環境を捜し回る会社員の実態の紹介からスタートしたが、それらの人々はまずその技術を操作し制御できることが何よりも優先的に求められている、としたうえで、そのような社会的圧力こそがコード(規律)なのだ、という結論に導いている。そして、重要な点はコードは人々の行動を規定する中で思考をも規定していく、ということだ。

本書は、現代の人々が否応なくかかわっているテクノロジーを分かりやすく解説している。まず、メールから始まる。そして、グーグル、ブログ、SNS。これらによって加速するスモールワールドとパーソナリゼーションの良い効果ばかりに人々の目が向けられるが、弊害は、かえり見られることはない。次いで、ユビキタス社会を実現するICタグ、ICカードについて。そして、IP電話、監視カメラ、指紋認証などのバイオメトリスク・・・これらテクノロジーの進化と利用の実態、そして未来予測。それは監視社会であると同時に「主体性ある意思決定」が奪われることだと語っている。

だからといって、インターネットや監視社会を現実化するであろうテクノロジーに反対する本ではない。もうぼくたちはネットや現代のテクノロジーを享受するしかないことを知っている。その上で、見えにくい部分で進行している実態を、まず知っておこうという内容だ。

ぼくがパソコン通信からインターネットに切り替えたのは阪神淡路大震災のあった1995年のこと。それから長い間、ぼくはネットの向こうに自由の海が広がっていると感じていた。本書を読んで、そんなハッピーな想いを持っていたことが照れくさくも感じ、懐かしくも感じた。また、本書の中で何度も何度も「監視社会」という言葉を目にしているうちに、かつて祖父や祖母、両親から聞かされた第二次大戦の戦時中の話を思い出した。家族は「非国民」と呼ばれることの怖さを繰り返し語るので、戦後生まれの幼かったぼくの脳裏にも監視社会の負の側面が焼き付いてしまっている。育った家庭は平凡な家で非国民と呼ばれたわけではない、そういうレッテルを貼られないように努力を重ねた、というような話だった。

インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?――情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方
著者 森健
発行 アスペクト、2005年9月

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