マーガレット・ワイズ・ブラウンの『おやすみなさい おつきさま』ができるまで

本書は絵本『おやすみなさい おつきさま』とレナード・S・マーカスによる『ブラウンとハードの生涯』が1冊になったもの。絵本だけのものと判型も同じなので、絵本部分は全く同じだが、本書はあくまで後者を読む本だ。純粋に絵本『おやすみなさい おつきさま』を楽しむには向かないと思う。

「クレメント・ハードが受け取ったファン・レターのうちに、生後1年半の子どもの母親からのものがありました。『うちの子は、ここ1週間かそこら、ほとんど毎晩のように『おやすみなさい おつきさま』を読んでほしいとねだっています。昨夜もそうでした。わたしが見ていますと、彼は右足を“おおきなみどりのへや”の絵のひとつの上におしつけて、”あるけ、あるけ!”と言い、つぎに左足を同じようにしました。それから、ワッと泣き出しました。”おおきなみどりのへや”のなかに入りたかったのでしょう。そこは、彼にとって魔法の部屋であると同時に、現実の部屋でもあったのです。』」(本書より)

これを読んで、ぼくは『おやすみなさい おつきさま』の絵が分かったと思う。最初に”おおきなみどりのへや”を見た時、それはシュールリアリズムの絵のような時間が停止し、生の営みのない不毛な空間を感じたんだけど、それがなぜ絵本に、という疑問を抱いていた。こういう疑問は大人の余計な勘ぐりだったと、上記のファンレターが言っているように思えたんだ。

『おやすみなさい おつきさま』の成り立ちには背景があって、それが本書の『ブラウンとハードの生涯』で詳しく説明されている。1935年、マーガレト・ブラウンはニューヨークのバンク・ストリート教育大学に入学するが、そこは幼年期の発達に関する世界的に有名なセンターがあり、彼女はそこの教育理念の実践者となっていく。例えば、子どもたちには伝統的な文学であるフェアリー・テールやマザー・グースよりも今の文学を提供しようとするもの。その成果のひとつとしてマーガレット・ワイズ・ブラウンの文とクレメント・ハードの絵のコンビによる絵本が世に登場する。

当然のように伝統的な文学の信奉者であるアメリカの図書館員たちからは余り好意的な評価を得られなかった。『おやすみなさい おつきさま』に登場するウサギはビーター・ラビットやリサとガズパールなどと比べて、可愛くないし、生気もないように見える。一般的な親なら、ピーターやリサと遊ぶ我が子を見て安心するはずだ。つまりシュールリアリズムの絵と印象派の絵の違いみたいなものがそこにあると思う。

最初に引用したファンレターを読むと、幼児の知覚には大人には入って行けない領域があるように思う。そんな領域の一つである『おやすみなさい おつきさま』を与えられた幼児は幸せに違いない。アメリカでは1947年の夏に出版され、経済力のある両親が折り紙つきの古典とともに買い与えたそうだ。出版当時は良く売れたそうだが、徐々に下火になる。それが1953年には目覚ましく伸びて、その後は需要が増加し続けているそうだ。アメリカには許容度の広い大人が多いと感じさせる。

『おやすみなさい おつきさま』ができるまで
著者 マーガレット・ワイズ・ブラウン、クレメント・ハード、レナード・S・マーカス
訳者 せた ていじ、中村妙子
発行 評論社、2001年11月

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カテゴリー: 絵本