阿木さんは2007年7月18日のブログの冒頭で、
「ハードバップとはジャズ・ミュージシャンの持つエモーションをダイレクトにぶつけた音楽であり、変容し続ける都市のスピードそのものである」
と書いています。
7月26日の「Somethin’ Else, Somethin’ Nu DJ#Compiled by 阿木譲」はまさに上記の言葉通りのDJイングだったと思う。この夜は、以前の「Hard Swing Bop」と違って、レコードジャケットを見せることはなかった。それで間違っているかしれないが、50年代半ばのマイルス・デイビスから始まって、後半部分までトランペットが都市のスピードを象徴しているようだった。おそらく、ドナルド・バードやフレディ・ハバードが選曲されていたに違いない。
レコードジャケットを見せないのが良かったと思う。その方が4時間のDJイングを一塊として受け止めることが分かった。昔、参加したレコードコンサートで、ジャケットを伏せて、プレイヤーを当てるなんてことがあった。DJはそんなじゃないので、誰が演奏しているかなんて、どうでもいいことだと思う。まさに編集されたサウンドをDJのプレイとして受け止めればいい。
しかし、テンションが高く、濃密な4時間を受け止めるには、聞き手にもそれなりの覚悟が必要なことが以前よりも強いことが分かった。ここには、「音楽を楽しむ」と一般的に言う時間とは別次元の時間が流れている。だから、他では得ることのできない快感を得ることができる。
朝まで踊り続けるクラバーの心理状態を本で読んだことがある。ぼくは踊らないので書いてあることをよく理解できなかったが、阿木さんのDJを聞くことは、脳内が振動しているというか、踊っているというか、朝まで踊り通すクラバーの心理状態に近いのではないかと思った。