1998年、フランス映画。先日はアンドレ・テシネ監督の『夜の子供たち』(1996年)を見たばかりだ。『溺れゆく女』と『夜の子供たち』に共通するのは厳格な父親の存在だと思う。その父親の元で育った息子たちの物語となっている。テシネ監督の最新作は本作品の次、エマニュエル・べアールの『かげろう』(2003年)となる。思えば、これも家族問題がテーマだった。
この映画のヒロインはジュリエット・ビノシュ。ぼくは好きになれない女優だけれど、アンソニー・ミンゲラ監督の『イングリッシュ・ペイシェント』のような大好きな映画に出ているのでけっこう見ている。しかし、この『溺れゆく女』はジュリエット・ビノシュ以外には考えられない。モデルとして成功するほどの美貌の青年が、かなり年上の少し疲れた感じの女性との恋物語。どうしたって、どうしてそのような青年が恋したのか、ビノシュだから説得力があると思った。
このビノシュがアリス、アレックス・ロレの演じる美青年がマルタン。それで、映画のタイトルが『Alice et Martin』。内容からしても、これがどうして『溺れゆく女』という邦題になるのか理解できない。全く映画の内容を表していない邦題なので、ここから映画のイメージを作らない注意が大切だ。
マルタンは私生児として生まれるが、少年の時、母親の元を離れて、厳格な実父の元で育てられる。実父の屋敷には3人の息子がいて四男となる。青年になったある日、家を飛び出し、家族の中で唯一気のあった三男のバンジャマン(マチュー・アマリック)を頼ってパリに行く。
ようやくパンジャマンのアパートを訪ねると一人の女がヴァイオリンの練習をしている。アリスだ。パンジャマンはゲイで、アリスとは友だち関係で部屋を二人でシェアしている。このアパートでしばらく3人の生活が続く。アリスは音楽に打ち込み、パンジャマンは演劇をしているが、二人の生活は困窮している。
マルタンは街でスカウトされて、モデルになる。マルタンを使った化粧品のポスターが評判となり、彼は一躍売れっ子モデルとなる。売れっ子になってもマルタンはアリスしか眼中になくなっていた。拒み続けていたアリスだが、ある日、スタジオの化粧室のマルタンを訪ね、彼の求めに応じる。
スペイン南部のグラナダでのロケにアリスも同行し、二人は市内を観光しつつ、アリスは妊娠を告げる。それを聞いて意識を失うマルタン。医師は身体には異常はない、精神医師に診せることを進めるが、マルタンはモデルを続ける気になれず、二人はパリにも帰らず、地の果てのような寒村の粗末な家を借りて滞在する。マルタンは憑き物をはらうかのように昼も夜も海で泳ぐ。
パリに戻るが、マルタンの精神状態は良くならないが、ついにアリスはその原因を聞き出し、マルタンの育った地方都市へ向かう。世間体を第一に考える母親はマルタンが実父を階段で押し倒して死なせてことを公にしていない。マルタンはそれは事故ではなくて、殺意があったこと、それを公にしない限り、心の病を癒すことはできない、と考えていた。アリスの尽力で事態はマルタンの希望する方向に向かう。アリスは子を生む決心をし、マルタンとの未来に希望を託する。
映画は厳格な父のもとでの4人の息子たちの運命を描くことで家族問題を考えている。長男は自殺、次男は市役所に勤務し、今では市長に立候補するまでになっている。先祖の有形無形の財産を自分一人の手にした結果だ。三男は家にいては人間が腐るとパリへ飛び出した、まっとうな人間のようだが、目の出ない役者生活に疲れ、実家の財産のおこぼれにあずかろうと考えている。どこかにありそうな家庭の3人の息子たちと、ちょっと違う四男を設定することで、家族問題にメスを入れている。