1998年、クリス・エア監督アメリカ映画。インディアン居留地の出て来る映画は見た事があるが、これほどストレートに居留地に住む若者を描いた映画は初めてだ。父と息子の普遍的な問題とインディアン居留地で育った若者という二つの側面から作られた作品だ。
アイダホ州の居留地に住むヴィクター(アダム・ビーチ)の父親は酔って妻と喧嘩のすえに、家を出たままだ。10年後のある日、女性の声で、父親が死んだという電話がアリゾナ州から突然かかってくる。ヴィクターと友だちのトーマス(エバン・アダムス)は長距離バスに乗り込んで旅を続ける。
着いた先は電話の女性スージー(イレーヌ・ヘダード)のトレーラーハウスだ。ニューヨークからやってきたというインディアンの女性はヴィクターの父を父のように愛していたという。そして、アイダホの居留地を飛び出した本当の理由を毎日のようにしていたとヴィクターに話しをする。ヴィクターは苦しみ続けた父を知り、魂の解放を願ってアイダホの渓流に持って帰った遺灰を撒く。彼らの部族はバッファーローを追う部族ではなくて、川を遡ってくる魚を捕る部族だった。アイヌのようだ。
この日本でこの映画を見ることは、アイヌ民族に否応なくつながっていく。ぼくは小学4年生の時に父の転勤のために、旭川市近文町というアイヌの人たちが多く暮らす土地に引っ越した。当時の教育方針は同和政策を取っていて、アイヌ民族をそれ以外の日本民族に同化しようということが行われていた。だから、多くのアイヌの人たちは自分からアイヌの血を引いていると言わない限り、アイヌとは分からなかった。ぼくの場合も、他所からいきなりやってきて、クラスのだれがアイヌか分からないし、詮索もしなかった。同和教育の元で、ぼくには詮索が差別につながることでもあり、避けるべきことと理解していた。
ある時、友だちになったクラスメートの一人がぼくにそっと木彫りの民芸品をプレゼントしてくれた。アイヌであることをカムアウトしたも同様だ。同和教育ではアイヌ民族の文化などを教えることもない。同和教育をよしとしていたぼくは、以後、アイヌ民族のアイデンティティという立場から見るならば、差別をしていたのではないかという悩みを抱き続けることになった。
mixi ではぼくの通った「近文小学校」のコミュニティがあり、そこにアップされている写真で少し救われている。旭川教育委員会の「アイヌ語地名表示板」が写っている。「近文=ちかふみ」は「チカプニ=鳥 いる 所」の意味と説明されている。ほぼ50年が経って初めて知るのはちょっと感動的だ。中学は北門中学だったが、そこにはアイヌの詩人知里幸恵の記念碑があると大阪市立図書館の本で知った。これもぼくには感動だ。
「インディアン」をウィキペディアで読むと、アメリカでインディアンと申告する人は増えているそうだ。その中で居留地に暮らすインディアンはほんの一にぎり、大部分は一般社会の中に溶け込んでいる。その中でもニューヨークが多くの先住民が住む都会と書いてある。映画ではニューヨークを飛び出し、アリゾナでトレーラハウス暮らしをする大卒インディアンのスージーの存在が重い。
最後にどーでもいい話しだが、インディアンのトーマス青年は『ダンス・ウィズ・ウルブス』を何度も見ているらしい。そういう映画なんだ・・・。ぼくも好きで何回か見ている。近く見る事にする。スージーのトレーラーの中のテレビで古い西部劇映画を放映している。映画の中の悲劇的なインディアンを見ているぼくたちインディアンはもっと悲劇的だ、というような台詞をトーマスは口にする。