女は女である / 40年振りに見るジャン・リュック・ゴダールの映画

先日、何の予備知識もなしにジャン=ピエール・リモザン監督の『NOVO(ノボ)』を見てたら、突然ゴダールの『女は女である』が見たくなったわけ。ゴダールを有名にした『勝手にしやがれ』はその時はまだ見ていなくて、十代だったぼくの出会った始めてのヌーヴェエルヴァーグ映画が『女は女である』だった。他のゴダール作品はその後も何度か見ているのに、これだけは、ずっと見る機会がないままだった。でも、ぼくの記憶の中では見た当時の強烈な印象を保ち続けていたんだ。だから、40年振りに見て「何だ、しょーもない・・・」だったら怖いなとも思っていた。ところが、すごい! 今、見ても全てが斬新なこの映画は色あせていなかった。

そして、やっぱり、と思った。ジャン=ピエール・リモザン監督も同世代。やっぱり多感な十代で『女は女である』に出会っているはずだって。そして、ぼくの心の中では1961年の『女は女である』と、2002年の『NOVO(ノボ)』が40年の時を隔ててピッタリと重なっている。

この映画はコメディタッチの軽いストーリー。アンナ・カリーナと、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン・ポール・ベルモンドの3人がパリの街を歩いたり、アパートの部屋だっりの生活がリアルに描かれる。見た時は地方都市に住んでいて、似ても似つかぬ生活だったので、憧れてもかなわぬ夢だった。そっか、あれから40年経っているんだ・・・。見ているうちに、コメディタッチの軽いストーリーのはずが、なぜか3人の登場人物が重い存在に感じられた。

中学、高校とぼくはクラブ活動もせずに親の決めたコースに乗って受験勉強を続けてた。でも、映画も見、小説も読んでたんで、どれだけ一生懸命だったんだか分からない。結局受験直前の3年生になって、自分の意思で受験を止めた。映画を見ていたといっても、映画青年ほど見ていないし、小説だって、文学青年ほど読んでなかったんで、どうせ受験をしないならと、損をした気分になった。映画のストーリーとは関係ない、こんな今まで考えたこともないことを、この映画を見ながら思っていた。3人の登場人物は軽いようで、けっこう重かった。

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カテゴリー: Movie