「バードがジャズさ」、映画『リプリー』から

映画『リプリー』をビデオで見ていたら、ジャズについての面白い会話があった。

ディッキーとマージのカップルとリプリーの3人のシーン。
ディッキー「マージはグレン・ミラーがジャズだって」
マージ「そんなこと言ってないよ」
リプリー「バードがジャズさ」

ディッキーはアメリカの大富豪の一人息子でナポリ近くの寒村で作家志望のマージと贅沢な同棲生活を送ってる。リプリーはディッキーの父親に、息子が帰るよう説得することを頼まれてイタリアまでやって来た。ディッキーがジャズ好きであることを知って、イタリアへ経つ前に徹底的にジャズを聞き、勉強をした成果が、「バードがジャズさ」という言葉。ディッキーの歓心を買うための言葉だが、これがまんまと成功して、ディッキーはリプリーにこころを許し、会話の後、すぐにナポリのジャズ・クラブへリプリーを連れて行く。

ディッキーは自分でもアルト・サックスを吹く。リプリーはパーティ会場で、アリアのピアノ伴奏をしているぐらいだから、すぐにスタンダード・ナンバーのバラードなんかを歌ったりする。ここまではぼくも、ジャズをうまいこと取り入れた映画ぐらいに思って見ていたが、二人がジャズ祭に行ったとき、「58年サンレモジャズ祭」と字幕が表示されて、アっ、て感じた。

1958年はハード・バップと呼ばれるジャズが最盛期の頃。バード(チャーリー・パーカー)は40年代後半にビバップというジャズを作った一人。グレン・ミラーは40年代アメリカの国民的人気のミュージシャンで、作曲家、アレンジャー、そしてバンド・リーダー。彼のはスイング・ジャズだ。ビバップが洗練されたジャズとして発展したのがハード・バップ。そのハード・バップ最盛期におけるある種の白人青年を、この映画はジャズを通してうまく表現していると感心した。

ビバップとハードバップは主に黒人ジャズメンが主導したジャズ。ディッキーの父親のように「ジャズは騒音」というのがアメリカでの一般的評価だった。そんな50年代に、カウンターカルチャーの先端を走っていたビート・ゼネレーションはビバップやハードバップを圧倒的に支持した。ディッキーとリプリーにビート・ゼネレーションの一端が見えてくると映画が面白くなった。

で、見ていたビデオというのが、何年も前に録画した3倍モード。良くない画質で見るには、もったいない内容だとビデオ鑑賞を途中でやめた。そのうちに鮮明なDVDで見るつもり。