少しの仮眠で、朝から仕事をして昼前に片付いたので、昼食後にぼーっとしてたら、衛星放送の番組表に『佐々木小次郎』を見つけた。明るいうちから、映画を見る習慣はないが、こんな日はいいだろうと、自分に言い訳をして見ていた。1957年、佐伯清監督の東映映画。幼い頃から東映映画はたくさん見ているが、これは見ていない。というか、この頃はもう東映映画を見なくなっていた。57年というと11歳。盛んに見ていたのは幼い頃から小学生低学年までだった。だから、ぼくの記憶にある東千代之介は『三日月童子』とか『笛吹童子』で、この『佐々木小次郎』よりも端正な美しさに輝いていた(はずだ)。
なかなかの大作で、明日は後編がある。白黒作品だけど、シネマスコープだ。カメラも凝っている。ファーストシーンは下男たちが林の中でたいまつを手に手に、逃げ出したあるじの娘を捜しているようだ。このシーンにちょっとドキッとした。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ』のファーストシーンにそっくりだ。こちらもたいまつを手にした大勢の側近たちが湖畔を探しまわり、自殺していたルートヴィヒを発見する。
山の頂からの下の街道を見下ろす構図もなかなかのものだった。街道には剣士たちが走っているさまが見える。吉岡門下の剣士たちを見下ろしているのは宮本武蔵だ。これは片岡千恵蔵。千恵蔵さんには珍しく、汚れたメイクと衣装。でも、その汚れた衣装で、キリッと決めた多羅尾伴内を思い出させる言い回しがあって、楽しい。小次郎は正反対に清潔で派手な衣装だ。女に惚れられる役だが、剣に生きる宿命から逃げられない。
琉球の王女の島唄と「出雲のお国」の歌舞は興味あるシーンだった。特に大坂城内で歌舞伎シーンは、実際の大坂城を使っているとしたら貴重なシーンだと思う。小次郎はその大坂城内から士官の身を捨てて、「命を掛けた恋」のため、フォーストシーンの娘と待ち合わせる天満宮へ走る。難波橋の名も台詞にあったり、ぼくはあの辺りに明るいので、娘を守りながら、殺し屋の浪人剣士たちと戦いながら移動するシーンは面白かった。ああ、これはあの辺りだな、って。
ここでの小次郎は剣の試合に勝ち続けるものの、世に認められない悲哀の剣士だが、女性たちに助けられ、恋にも生きる魅力ある剣士として描かれている。