2004年フランス映画。男女の出会い、結婚、出産、身内との食事、離婚と5章に分かれているが、映画は時間をさかのぼる。離婚から始まって、二人の出会いがラストシーンとなる。時間をさかのぼるという斬新性を除外すると、特別なストーリーではないし平凡な映画のように思われる。しかし、主人公のマリオンとジル夫妻の平凡にしか見えない言動から生じる緊張に支配されつづけながらぼくは見ていた。つまり、ぼくはオゾン監督の美学であるアートとしての映画の中に逃げ込むことでしか平静を保てなかった。
ストレートの男性であれば、ジルの中に自分を見つけて辛くなる映画ではないかと思う。少なくともぼくはそうだった。離婚調停後、すぐに二人はホテルでセックスをする。ちょっと理解に苦しむ二人の行動だが、案の定、途中から嫌がるマリオンを無理強いして達成してしまうジルだ。こんな、とても嫌なシーンから映画は始まる。反対に、偶然にバカンスの浜辺で出会った二人が並んで海に入っていくラストシーンはとても美しい。この美しいシーンを透かして、観客の脳裏では最初の醜いベッドシーンを見ることになる。
さて、離婚前の二人の日常のエピソードだが、ジルの兄とその恋人を招いての食事だ。ジルの兄はホモセクシャルで、恋人は若くて美しい。もう若くはないジルの兄と若い恋人、この二人のホモセクシャルの男性のそれぞれがマリオンに見せる気遣いが優しさに溢れている。そのせいで、ストレートの男性、夫ジルの残酷な言動が際立つ。それは、最初のベッドシーンともども、男性の女性への無自覚な支配意識を表現しているのだと思う。そこに、すごいリアリズムを感じ、ほかの見る機会の多い映画はほとんどがファンタジーに思えた。そうした映画では得ることのできない緊張感に浸った。