2002年アメリカ映画、ニール・ラビュート監督。
「詩人になるつもり?」とモード(グウィネス・パルトロウ)。
「いや、地道に教師になるつもりだ。この時代、詩人は存在しないよ。」とローランド(アーロン・エッカート)。
「詩人ね。」とモード。
詩人が存在した19世紀イギリスのヴィクトリア朝時代と、詩人の存在しない現代の詩人たち、二組の恋愛が同時進行するロマンス映画。それにしても『抱擁』はないよ。原題は『Possession』、内容に深く関わる意味深いタイトルだ。パッケージの写真と邦題からパルトロウの濃厚なベッドシーンを連想させるが、そのようなシーンはない。パルトロウはイギリス文学の研究者で、積極的に見える外見とはうらはらに、感情を表にだすことが苦手な女性を好演して、とてもいい。パルトロウにぴったりだ。ぼくは『セブン』(1995)を見て好きになった。ブラッド・ピットの奥さん役でその時の人物の性格と似ている。『恋におちたシェイクスピア』(1998)はすごく期待したけれど、満足できなかった。
この映画のパルトロウはほんとうにいい。パルトロウだけを見ていても満足できる。実際、ストーリーが込み入っているので、最初は登場人物の名前を覚えるのに必死だった。二日、続けて見て本当に楽しめた。やはり、ストーリーを完全に把握した方がパルトロウの魅力も増す。
ローランドは、19世紀を代表する詩人アッシュ(ジェレミー・ノーザム)の研究家でアメリカからイギリスに来ている。偶然にアッシュの恋文の下書きを発見したところから、ストーリーが始まる。アッシュは妻以外の女性と関係を持たなかった詩人として知られている。恋文の相手が別の女性だとしたら大発見となるはずだ。ローランドはさまざまな資料から当時の社交界を探り、恋文の宛先は女流詩人のラモット(ジェニファー・エール)だと推理する。ラモットの研究家がモードで、ローランドはモードの助言を得るために彼女に会いに行く。
ラモットはレスビアンだったから、アッシュの恋の相手ではない、とモード。しかし、バイセクシュアルだったかも・・・、とローランドに軽口をたたみかける。ともかく、ローランドはモードの研究室でラモットの恋の相手である女流画家の資料からアッシュとラモットの恋に確信を深めて行く。モードも次第に興味を持ち始めて、ローランドをラモットの住んだ館へ案内する。実はモードはラモットの末裔なのだ。その夜、館のラモットの部屋から古い書簡の束を発見する。アッシュとラモットの書簡だ。ラモットが二人の書簡を一つの束にして、人目に触れないように隠していたものだ。
書簡の内容から、アッシュとラモットは旅をして、ヨークシャーで40日間を過ごしていることを知った二人もまた、ヨークシャーへ向けて車で旅立つ。次第に距離を接近させるローランドとモードだが、二人の恋はすんなりとは成就しない。ささいな心の綾がじゃまをして、相手との距離を埋めることができない。こういう演技のパルトロウはほんとうにいい感じだ。
さて、映画の方はこれからアッシュとラモットの秘密もまだまだ解き明かされる。ローランドとモードも、ハラハラさせながらも二人の仲は進展する。風景は美しいし、現代とビクトリア朝を行ったり来たりする編集はすごいし、何度もいうけど、グウィネス・パルトロウがいいし、これからも何度か見たくなる文芸娯楽作品です。