2000年、アダム・ブルックス監督アメリカ映画。キャメロン・ディアス主演のロード・ムービーということで見ることになった『姉のいた夏、いない夏』だが、甘い映画ではなかった。60年代のカウンター・カルチャーがよみがえり、深い余韻が残った。
フェイス(キャメロン・ディアス)とフィービー(ジョーダナ・ブリュースター)の姉妹は両親とともに幸せに暮らしている。父親は大企業に勤めているが、精神的には早すぎたヒッピーで、絵を描くことを趣味にしている。絵のモデルはいつもフェイスばかり。フェイスはその父から強い精神的影響を受けて成長した。フィービーは少し歳の離れた姉フェイスを愛し、彼女の強い影響下にある。父が病死したとき、フェイスはなかなか立ち直れないでいたが、パリの学生たちの政治的行動やベトナム戦争に対する反戦活動を知るにおよんで、父親の精神的影響が顕在化、またたく間に政治的行動を伴うヒッピー・ムーブメントにのめり込んで行く。サンフランシスコではあきたらなくて、恋人のウルフ(クリストファー・エクルストン)と共にヨーロッパに旅立つ。出発する彼らを母とともに見送るフィービーはまだ少女だった。
以上のことは高校を卒業した18才のフィービーから語られる。同時に姉はヨーロッパから帰らなかったことも。ポルトガルの岬の絶壁から身を投げたという。その姉の死から7年が過ぎているのに、フィービーの心の中では姉の存在が増々大きくなっている。姉が好きだったミュージシャンのライブに出かけるのも、そこに姉がいるかもしれない奇跡を願ってのことだった。フィービーは姉の死の真相を知るために、母親の反対にさからってヨーロッパに旅立つ。生前の姉が送ってくれたヨーロッパの絵はがきを持参して彼女の足跡を辿る。旅は当時、ヒッピーのたまり場だったアムステルダムから始まる。
これから先は書かない。パリで姉の恋人だったウルフを訪ねて、真相を聞き出すあたりから映画はミステリアスな様相を帯びて、見る者に緊張を強いる。姉の政治的活動はエスカレートし、過激派組織の赤軍で活動するところまで突っ走る。そうした60年代末から70年代にかけてのカウンター・カルチャーや政治的活動の結末を知っている同世代には、苦い余韻が伴うことでしょう。ストーリーを知らないで見ることを強調しておきます。