昨日、フィリップ・ガレルの映画『秘密の子供』(1979年)を見た後に『The Velvet Underground & Nico』を久しぶりに聞いた。映画の影響に違いないが、何度も聞いている『The Velvet Underground & Nico』なのに、今までとは別なロックのように聞こえた。改めてこのアルバムの存在感が増した。
本アルバムはアンディ・ウオーホールのプロデュースで制作され、1967年に発売された。ぼくがこのアルバムを知るのはロンドンやニューヨークのパンクを聞き始めた1970年代後半のこと。その時にニューヨーク・パンクの元祖的存在のヴェルヴェット・アンダーグラウンドを知った。ジャケットは「Andy Warhol」とはっきりと印刷されているバナナのイラストで有名だ。ぼくの持っているCDジャケットでは小さい。前に持っていたLPジャケットで見ないことには迫力がない。
ぼくはアンディ・ウォーホルを最初は映像作家として知っていた。このアルバムの出た1967年はモダンジャズを聞いていて、ロックは全く知らなかったが、当時働いていた地方都市サッポロに確か松本俊夫氏が主宰する実験映画の講演会に行った記憶がある。フィルムを何本か見た後に氏の講演があったはず。その時にウォーホルの作品が上映されたような記憶があるが、確かではない。
本アルバムに出会ったときはウォーホールに関してはアーティストとしてかなり興味を持っていたので、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのミュージックは感動的だった。つまり、ここでアートとミュージックの有機的なつながりを皮膚感覚で納得した。
フィリップ・ガレル監督の『秘密の子供』はウオーホール・ファクトリーのニコとガレル自身の愛と破局を描いた映画だ。映像は古いサイレント映画やウオーホールの映像作品を思わせる実験的な側面をも持つ作品で、凝縮された精神性が濃厚で、そこがアルバム『The Velvet Underground & Nico』をよみがえらせてくれたに違いない。
なお、ガレル監督は同じテーマを扱った『白と黒の恋人たち』(2001年)もある。こちらは、『秘密の子供』に比べて実験映像的側面はほとんどなくなるが、エキセントリックな精神が鮮明な画面でより表現されている。ただ、『The Velvet Underground & Nico』を聞くために見る映像は『秘密の子供』の方だろう。