1970年イタリア映画。イタリアのカルロ・ポンティが製作なのでイタリア映画となっているが、舞台はアメリカのカリフォルニア。脚本にはサム・シェパードも加わっているので、60年代から70年代のアメリカン・ニューシネマ的な作風だ。一度は見ているはずなのに、全く記憶になかった。後半はかなりつまらなくなるので、見ていて寝てしまったのかもしれない。
60年代後半の学園闘争が描かれている。南カリフォルニアのある大学での学生運動活動家たちの論争からスタートする。白人学生と黒人学生の深刻な対立がある。60年代後半は、黒人の差別撤廃の公民権運動とベトナム戦争反対の運動が激化していた。それらの運動の急先鋒にあった「ブラック・パンサー党」が有名だった。黒人が主体の組織だが、急進派の白人も参加していた。それが運動の激化とともに白人運動家は黒人と一緒にやっていられなくなる。こうした背景がこの映画の運動家たちの論争にある。
ぼくは、その頃モダン・ジャズを聞いていたが、フリー・ジャズを聞き始めたころで、フリー・ジャズのミュージシャンとブラックパンサー党がイメージとして重なるところがあった。だから、アメリカの反体制運動に関する新聞記事や雑誌を熱心に読んでいた。ある時、白人運動家がブラックパンサー党から離反せざるを得ないことを知ってショックを受けた。そのときに黒人のアイデンティティをいやでも意識せざるを得なかった。
この点に関しては、当の白人青年は深刻な事態に直面していたに違いない。黒人青年のアイデンティティは極めてはっきりしているのに、自分のアイデンティティが見出せないジレンマに陥った白人青年は少なくなかったと思う。その時代が1969年のデニス・ホッパー監督の『イージー・ライダー』やこの『砂丘』を作り出したんだと思う。
『イージー・ライダー』はアメリカ大陸を西から南へバイクで旅する白人青年が簡単に地元の人間に銃で撃たれて死んでしまう。本作は、大学構内へ武力行使で入ってきた警官射殺を疑われた白人青年の逃避行だ。小型飛行機を盗んで砂漠をさまよう。飛行場に降りたところで、警官に撃たれて簡単に死んでしまう。銃でいとも簡単に殺されるところに、アイデンティティの希薄さが象徴されている。似ているけど、『イージー・ライダー』の方がずっといい。ミケランジェロ・アントニオーニは4年後にその『イージー・ライダー』に出演していたジャック・ニコルソンを主人公に『さすらいの二人』を撮るが、これは『砂丘』よりずっといい。