開演の20時を過ぎてから入ったら、フレディ・ハバードの「Hub-Tones」(Blue Note 4115、1962年)がかかっていた。
nu thigs サイトのスケジュールでこの夜のDJを阿木氏が次のように紹介している。
『フレディ・ハバードに影響を受けたというユッカ・エスコラの言葉をそのまま受けて、今回の「HARD SWING BOP」はフレディ・ハバードのトランペットを糸口、太いベースとして、彼がブルーノートに残したリーダーアルバム「HAB CAP」や「HUB TONE」などのアルバムやセッション・アルバムなどからいつものハードバップへ、そして最終的にはFINN JAZZへと、nu jazzやclub jazzのグルーヴの持つ現代感覚を大事にしながら流れを作れたらと考えている。ということで、高いテンション、スピードを第一としていた過去のDJイングとはちょっと違った方法でのDJイングです。(阿木)』
氏の足下にはながし終えたらしい、「Hub Cap」(4073、61年)やティナ・ブルックスの「True Blue」(4041、60年)が見える。「True Blue」にはもちろんフレディ・ハバードが参加している。どうやら、この夜は1960年からスタートしたようだ。
次はやはりハバードの「Here To Stay」(4135、62年)、次いでボビー・ハッチャーソンの「Stick up!」(4244、66年)。ハッチャーソンは後でまとめて選曲されるが、ここではジョー・ヘンダーソンのアグレッシブなプレイを聞かせるためと推測する。次のジャッキー・マクリーン「One Step Beyond」(4137、63年)にはハッチャーソンが参加している。
フレディ・ハバードからボビィ・ハッチャーソンに移行しつつも、微妙にプレイヤーをダブらせている。フレディ・ハバードをメインにしながらも、ジャッキー・マクリーン、ジョー・ヘンダーソンをとりあげることで、60年代ハードバップの濃密な輪郭をトレースしている。
このあたりまでくると、いつもの「Hard Swing Bop」とはちょっと違うと感じがした。一直線にテンションがのぼりつめていくようだ。いつもなら、ホレス・シルヴァーとか、ルー・ドナルドソンといったファンキー色の濃いナンバーだったり、叙情性の残る50年代ハードバップが挿入されたりして、一息つけたりするが、この夜にはそれがない。
フレディ・ハバードが参加する、エリック・ドルフィー「Out To Lunch」(4163、64年)が流れ、たたみかけるようにハバードの「Breaking Point!」(4172、64年)が流れる。そう、この時代のフリージャズの影響下にあったハバードやマクリーンやヘンダーソンといった若いハードバッパーのスタイルを際立たせているんだ。
DJの軸足はヴァイブの響きに移して行く。ボビー・ハッチャーソンだ。しかし、まず選曲されるのは、グレイシャン・モンカー三世「Evolution」(4153、63年)。ここには、リー・モーガン、ジャッキー・マクリーン、ボビィ・ハッチャーソンが参加している。この後はハッチャーソンの「Dialogue」(4198、65年)、「Happenings」(4231、66年)と続いた。
この後が意味深。ジャッキー・マクリーン「Demon’s Dance」(4345、67年)、リー・モーガン「The Sixth Sense」(4335、67年)、アート・ブレーキー「Indestrucible」(4193、64年)だが、それぞれが、リーダープレイヤーとしてのブルーノート最後期のアルバム。
ここまで、3時間をノンストップでDJイングを続けた阿木譲氏は少しの休憩をとった。氏のDJにはその日のコンセプトに基づいた基本的なアウトラインはあるはずだが、紙にかかれたタイムスケジュールはない。「その場の空気を読み取って、即興で選曲している」と、いつだった氏本人から聞いたことがある。だからこそ、コンセプトにアクセントを与えるようなアルバムがタイミングよく挿入される。この夜では、エリック・ドルフィー「Out To Lunch」とグレイシャン・モンカー三世「Evolution」にそれを感じた。
何処に、何が、挿入されるか分からない、決めるのはその場の空気だ。紙に書かれたリストもないので、阿木譲氏のDJイングはいつもその夜限りのフリーインプロヴィゼーションのように、再現不可能なんだと、つくづく思った。だからいつも貴重な夜となる。
「Hard Swing Bop」シリーズは2006年7月16日に第1回があって、それから月に1回のペースで続いている。ぼくはそのほとんどを聞いている。これはハードバップがメインのDJイングだ。多くは50年代をメインに60年代も交じる選曲だった。ハンク・モブリーやリー・モーガンが圧倒的に多かった。この夜は後期のリー・モーガンは流されたが、ハンク・モブリーは全く聴くことはなかった。ここにこの夜の特徴が垣間見える。
都市で浴びる熱いシャワーのようなジャズをキーワードとするとき、残念だけど、ハンク・モブリーのサウンドの登場シーンはない。50年代ハードバップと60年代ハードバップを隔てる違いを鮮明にしてくれたDJだった。ちなみに、この夜に流れたナンバーは、モードジャズとか新主流派ジャズと呼ばれることが多い。ぼくはこれらの言葉になじめない。ビバップ→ハードバップと続いてきた精神的な流れが止まってしまうように思われるからだ。精神のながれは60年代に入っても途切れることなく続いている。だから、ぼくは50年代ハードバップ、60年代ハードバップと言いたいと思っている。
(つづく)