1962年フランス映画。ぼくはこの映画を1963年、17才のときに見ているが全く記憶がない。同じ年にベルイマンの『野いちご』とアントニオーニの『夜』を見ているが、この2作品については当時の感動を鮮明に記憶しているのに・・・。
ティヴィアン・ジョーンズ(スタンリー・ベイカー)は労働者階級出身の作家だが、処女作が映画化されて、作家として富と名声を手に入れた。その映画関係者を集めたパーティがヴェニスのホテルで行われている。美しい婚約者フランチェスカ(ヴィルナ・リージ)は映画製作の仕事に携わり、プロデューサーと共に頻繁にローマへ仕事へ出かける。その夜も、フランチェスカの能力を高く評価しているプロデューサが同時に彼女に惚れていることを知って、ティヴィアンは婚約者のローマ行きが不満だ。雨の中ヴェニス郊外の家に一人で帰ってくると、エヴァ(ジャンヌ・モロー)と男が不法侵入している。エヴァは持参したビリー・ホリディのレコードを聞きながら、浴室を使っている。
激怒したティヴィアンだったが、エヴァを一目見るなり惚れてしまって男を家から追い出す。その後エヴァを追ってローマへ行くが捨てられてヴェニスに戻り、よりを戻したフランチェスカと婚約パーティを行う。そこへ、エヴァから電話がかかって、彼は婚約者や友人をほおってエヴァのもとに駆けつける。二人はヴェニス一番の高級ホテルに滞在するが、ティヴィアンはエヴァにさんざん翻弄されて、逃げるようにホテルを出て行く。
どうやってフランチェスカの許しを得たのかは知らないが、彼女の夢見たゴンドラのウェディングが行われる。二人の新婚生活が始まるが、フランチェスカのローマ出張を見計らったようにエヴァが現れ、ティヴィアンは酒やギャンブルの刺激的な夜に埋没する。翌日、帰ってきたフランチェスカは寝室から閉め出されて暖炉のそばで寝ている夫と寝室のエヴァを見るや、家から駆け出しモーターボートに乗り込み、追いかける夫を振り切って、猛スピードで去っていく。そしてボートが激突する轟音を聞くティビアンの悲痛な表情のアップから、フランチェスカのゴンドラの葬儀シーンに移る。
それでもエヴァ=ヴェニス社交界の華、娼婦?を忘れられないティヴィアンだが、今度こそ相手にされずに惨めな自分を知ることになる。実は、ティヴィアンの小説は炭坑夫の実兄が書いたもので、兄は労働者が小説家になることを恥じて、金のない弟に原稿を渡したんだ。労働者階級出身の空っぽなアタマだけど、金だけは手にしたティヴィアンだが、ブルジュア社交界に入れずはずがないという映画。社会派監督のジョセフ・ロージはティヴィアンを徹底的に身勝手で惨めな男に描きながら、ブルジュア社交界を批判している。ファッションやインテリアから小物、高級ホテルやクラブ、それらスタイリッシュな物の浮遊感を描き、生活感の皆無なブルジュアを批判している。だが、それは成功しているのだろうか、ぼくには疑問に思われた。そのスタイリッシュな世界や物を描きながら、映画自体は俗っぽく見えた。
2年前の1960年の映画で、同じジャンヌ・モロー主演のミケランジョロ・アントニオーニの『夜』のほうが優れた作品だと思う。ここでのジャンヌ・モローはブルジュア階級出身のアタマのいい娘で、新進作家の妻を演っている。夫は中産階級出身の売れっ子新進作家であり、ブルジュア階級に取り入ろうとしている。そうすることで哀れになる姿を描いているので、この『エヴァの匂い』とコンセプトが似てなくもない。しかし、ジャンヌ・モローの使い方もジャズの使い方も『夜』の方がずっと良かった。