少しの休憩後、DJが再開されたがぼくは知人たちと話しこんでいて、流れる音楽は何かわからないままに、前半の60年代ハードバップからのつながりを感じていた。しかし、それは40年後の今のジャズだった。40年の時を隔てて、サウンドをつなげている。これがDJのパフォーマンスなんだろう。間違ってほしくないのは、50年代のスタンダードナンバーを現代のプレイヤーが演奏するという意味ではない。この場合は同じメロディをプレイしているだけで、精神性を共有するものは何も無いので、つながったとは言わない。
流れていたのは、最近CDがリリースされた、ティモ・ラッシーの「THE SOUL & JAZZ OF TIMO」のシングルカット版だった。これはファイブ・コーナー・クインテットのメンバーで構成されたバンドだ。以下、ニコラ・コンテやこの数年にリリースされたフィンランドのジャズなどがDJイングされた。
さて阿木譲氏の6月29日のブログの冒頭にこの夜のDJのスタンスといえそうな部分がある。少し長いけど記録として重要に思えるので、引用しておきます。
作家の中上健次は81年発行の「音楽の手帖/ジャズ」のなかで当時のジャズについて「シャワーとしてジャズを浴びながら、その時自分のものの考え方が壊れていくというのがとてもうれしかった。ど田舎から出てきた人間にとって、シャワーとしてジャズを浴びることは自分がものすごく自由になっていくという感じと、ぶっ壊れていく感じが入り混じっているんだな。」と語っている。残念なことに現在、ジャズにはそうした破壊的な要素は微塵もない。しかし当時の「都市は熱いシャワーのようなジャズそのものであった」という言葉にはなぜかそそられる。都市→熱いシャワーのようなジャズ→というのを再現することは音楽で可能だ。このコピーは今後のクラブ系ジャズが変遷していく過程で生まれる新しいジャズの文脈のなかでも充分活用できるだろうし、我々が現在のクラブ系ジャズを含めてのすべての「ジャズ的なるもの」の音楽に最も欠落している言葉かも知れないね。
つまり、阿木譲氏のDJのコンセプトは都市の熱いシャワーを実現することにあるらしい。そうであるなら、この夜の「Hard Swing Bop」は氏のコンセプトが達成されたに違いない。
じゃー、中上健次をぶっ壊したジャズってなんなのだろう? スイングジャズであるはずがない。ビバップ、ハードバップ、フリージャズだったに違いない。都はるみだったかもしれないが、演歌はジャズとは別世界だ。懐メロのように演奏されるスタンダード・ナンバーでもなかったはずだと思う。
ジャズは時代の精神と密接に関わる音楽だと思っている。だから、50年代から遠く離れたスタンダード・ナンバーはジャズ的な音楽だけど、ジャズではない。ジャズではないけれども、スタイルの完成に向かって独特の世界観を持った音楽ジャンルとして日々、成熟している。演歌と同じだと思う。ぼくもこれらの音楽も好きだったりする。天童よしみや石川さゆり、坂本冬美の唄は好きだ・・・。これらの音楽の特徴は体制への帰属意識を満足させてくれることにあると思う。だから、聞いていると心が満たされたような気持ちになる。
でも、一人で何かと向かい合わなければならないときが人生には時としてやってくる。そんな時には、ジャズ的なスタンダード・ナンバーや演歌はクソの役にも立たない。中上健次にはど田舎を出るだけでは解決しない重荷を背負っていたに違いない。自分をぶっ壊さなければ、自由を得られない何かを持っていた。そんな時にジャズと出会った中上健次は幸せだったに違いない。
ジャズの熱いシャワーを浴びることの出来るスペースを阿木譲氏は作ろうとしているに違いない。その意味で、この夜の「Hard Swing Bop」は成功だったと思う。