1996年イギリス映画。長いこと映画に熱心でなかった。見てもアメリカ映画でラブコメディなんかだったから、この評判の『トレインスポッティング』を今になって初めて見た。とてもリアルな映画で、今後はウソっぽいアメリカ映画がシラケてしまいそうだ。でも、ウソっぽいからアメリカ映画をやっぱり見る。
最近はフランス映画を見ていて、40年前の十代の頃に見たヌーヴェルヴァーグを思い出したりして、ゴダールの『女は女である』を見たばかりだった。同時期、イギリスからはカレル・ライス監督の『土曜の夜と日曜の朝』、トニー・リチャードソン監督の『長距離ランナーの孤独』、『蜜の味』などを立て続けに見ていた。フランスのヌーヴェルヴァーグと違って、猛烈に暗い映画で、強烈な印象をそれらのイギリス映画から受けた。
『トレインスポッティング』を見ていたら、40年も経って同じような映画を夢中で見ている自分を眺めている自分に気づいた。これって、いいのか、悪のか・・・つい考えてしまうが、結論の出る問題じゃない。ウェブ検索をしていたら、評論家の大場正明氏のサイトの『トレインスポッティング』評がわかりやすかった(下記にリンクします)。
大場氏は、1979年に政権の座についたサッチャー首相が率いる保守党の政策、サッチャリズムが社会を大きく変えたことが『トレインスポッティング』を始めとするイギリス映画に大きな影響を与えているという。なんだ、今の日本と同じじゃないか。先日、仕事の打ち合わせで、資産家と話しをしていて、グローバル化の現代、生きるためには能力が必要だ・・・というような話しをしていた。人々の100パーセントがその能力を身につけたり、発揮できるわけではないのは確実で、その人たちはどうなるんですか、と尋ねようとしたけどしなかった。
ユアン・マクレガー、ロバート・カーライル、ジョニー・リー・ミラー、ユエン・ブレナーの演じる4人組がムチャクチャに良かった。「イギー・ポップなんて古いロックはいいかげんにして・・・」と言う女子中学生役のケリー・マクドナルドもいい。イギー・ポップ、デビット・ボウイ、ブライアン・イーノ、デボラ・ハリー、ルー・リードなどの挿入曲、そして会話でも語られる。