ジョン・バーニンガムの蒸気機関車を眺めながら

バーニンガムの絵本『いっしょに きしゃに のせてって!』を眺めていたら、突然、過去の記憶がよみがえった。ネットで調べたら、ぼくが6歳の頃らしい。たぶん、それは小樽駅構内のホームでの見学だったと思う。祖父をはじめ家族総出の見学だたように思うが確かでない。大勢の人ごみの中から、父におんぶされて確かに蒸気機関車の弁慶号を見た記憶がよみがえったんだ。

鉄道記念館サイトの収蔵資料紹介ページに以下の記述がある。

「北海道の日本製鋼所で入れ換えに使用されていた7106号「しづか」は、やはり1952年に鉄道開通80周年記念として北海道の国鉄苗穂工場で復元されました。こちらも準鉄道記念物に指定され、現在は小樽交通記念館に保存されています。」

1952年はぼくが6歳。復元した7106号を小樽まで運行して一般公開した可能性はおおいにあるはずだ。ぼくの記憶でもそれは蒸気を出していた。アメリカ製の7100形式の蒸気機関車は1880年(明治13年)から輸入されて、合計8両が輸入されたとある。それぞれに、義経、弁慶、しづか、比羅夫などの愛称がつけられたそうだ。ぼくが見たのは「しづか」号ということになるが、弁慶号と呼んでいた記憶しかない。

上記のページの写真はバーニンガムの絵本と全く同一の車両であることが分かる。さて、小樽交通記念館サイトの写真は少し違う。キャプションも「米国製のSL〈アイアンホース号〉」となっていて、前方の煙突の形状が違う。さらにこのサイトでは、「明治時代に作られた国産SL 大勝号」という7100形式とほとんど同じスタイル写真が載っている。なお、このサイトに〈しづか〉号の記述はない。

弁慶、しづか、アイアンホース、大勝号の名前が両方のサイトから知ることができたが、ぼくの見た蒸気機関車が正確に何だったのかは分からない。記憶は弁慶号として焼き付いているが、煙突の形状の記憶は確かでない。しかし、鉄道記念館サイトの収蔵資料紹介ページの写真のような気がしている。異様な迫力を感じた記憶からは、こっちの煙突に違いない。アイアンホースのストレートな煙突とは印象がずいぶんと違う。

しかし、しづか号はどこにあるのだろう。アイアンホースはしづか号なのか? 謎だ。ともかく、アメリカから輸入された8両は大正時代には、国産のSLに変わられて廃車になったり、国鉄の路線からは姿を消したそうだ。北海道初の鉄道は当時の海の玄関小樽市手宮から南小樽駅を通り、札幌から石炭の幌内に至る鉄路だった。南小樽駅から手宮間はほどんどを小樽市街を走る。それを祖父は日常的に見ていたに違いない。幼い孫のぼくに7100形式のSLを見せようとしていた祖父の興奮が、遠い時間と場所を隔てて感じてくる。

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カテゴリー: 絵本