映画『ジュリア』を見る

少女小説家氷室冴子のエッセイ集『いっぱしの女』を読んでて、映画『ジュリア』を見たくなった。この映画はカミさんが強く進めていて、映画館へ一緒に行った。40年前のことでまだオレたちは若かった。
『ジュリア』はアメリカの劇作家リリアン・ヘルマンの回顧録の映画化だ。リリアンの少女時代、ジュリアという上流家庭に育った友だちがいた。知性も身体能力もジュリアが勝り、全てにわたりジュリアがリリアンをリードした。オックスフォード大学に進んだジュリアはフロイトの助手になりたいとウィーンに行く。そして反ナチの地下運動に参加することになる。そこでジュリアは脚を切断するほどの深手を負うところまでリリアンはジュリアの消息を追うが、しばらく途絶える。劇作家として華々しくデビューしたリリアンにジュリアからの使いが現れて、反ナチ運動のための大金を運んで欲しいと言われる。
ロシアの演劇祭に招かれたリリアンはパリからベルリン行きの列車に乗る。途中下車のベルリンのカフェでジュリアと再会する。このシーンがすごくいいんだ。ぼくは映画を観てて目がうるむことはほとんどないが、このシーンには思わず目頭を押さえた。ジュリアには1歳になろうとしている赤ちゃんがいるという。ベルリンは危険なので田舎に預けている。その子をリリアンが引き取ってほしいと依頼する。リリアンは二つ返事で引き受ける。女の友情だな、ってぼくは目がうるんだ。父親は妻子に無関心で私も浅はかだった、と言う。でも子どもっていいものよ、と付け加える。
このフェイルブックにかつて一緒にフロアで踊った何人もの女子たちが生まれた子どもの写真をアップしている。それを見る度にぼくは「子どもっていいものよ」と言われているように感じている。
ぼく自身は自分の子に無関心ということはないだろう。激しく愛するか、激しく憎むだろうと感じていた。多分後者に違いにないと思っていたので、妊娠を避けるように細心の注意を払った。カミさんには悪いことをしていたのかもしれない、とちょっと心がうずくときがある。カミさんと出会った頃、カミさんにはとても親しい女ともだちがいた。彼女がどんなに素晴らしいかさんざん聞かされた。いづれ会うこともあるかもな、と思っていたがカミさんはその友人の話題をしなくなった。会うこともなくなったようだ。オレのことが話題になったとしても、男の歳が12歳も下だと、どうせ遊びだよ、あんたは捨てられるんだよ。ってことになるのが普通だよな。そんなことがあってカミさんが怒り、友だち関係が終わったと考えられるが、当時のオレはそんなことを話題にしたことはない。できなかった。
この映画を観てたら、ふとそんな昔のことが想いだされた。ジュリアの子の父親って、ひょっとしたら歳下かもな。ちなみに、無名のリリアンは26才で有名なハードボイルド作家ダシール・ハメットと同棲する。ハメットは11才年上だ。ハメットが死ぬまで一緒に暮らす。ジュリアの子は探しまくるが見つからない。

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カテゴリー: Movie