大島弓子の『ミモザ館でつかまえて』を読む

宮台真司の『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(2014年刊)を読んでいたら、『増補 サブカルチャー神話解体』(2007年刊)が読みたくなった。それを読んでいたら、1970年代前半ぼくが少女漫画にはまってたことが蘇り、そのことが宮台の説明によって明瞭になった。60年代の新左翼運動から身を引いたぼくは少女漫画に耽溺することで居場所を得ていたんだと。この数日は大島弓子の『ミモザ館でつかまえて』を読むのが就寝前の楽しみだった。『エヴァンゲリオン』や『アキラ』も余りに有名だから読むことは読んだが、中に入っていけない。あの男臭さについていけない。ぼくは結構、女子度が濃いのかもしれない。女子のみんな、クラブに復帰したときは仲良くしてな。
先週、カミさんがいきなり、自分で体を洗えないので手伝ってほしいと言った。それからの毎日、全裸のカミさんにシャワーをかけて石鹸で体を洗うのが一日のスタートだ。それから食事を作って食べ終わると、もうクタクタだ。日中は家事に買い物、介護保険関連の打ち合わせや事務仕事などで晩ご飯まであっと言う間だ。仕事は深夜になってやっとできる状態。朝もしらみ始める頃に寝床にもぐる。いくつか抱えている小説のワンシーンを思い描いて眠りにつく。
最近、氷室冴子の『新版 いっぱしの女』というエッセー集を買った。まえがきに著者が30になるかならないとき、40を少し超した編集者からインタビューをうけて「あなた、やっぱり処女なんでしょ」と言われたことを淡々と書いている。あー、ぼくも童貞なんでしょ、と言われるような恋愛小説を書きたい!
最近就寝前の寝床で夢見るように思い描いている小説のワンシーンをここで紹介してしまおう。
ぼく(あくまで小説の主人公)が高校3年の夏休み。2歳年上の従姉が東京から郷里の小樽に帰ってきた。従姉とは幼い頃から仲のよい姉弟のように育ってきた。2年前に東京の大学に行ってからは、映画や小説をぼくに指示するのだった。三派系全学連の活動家で当時勃興したアヴァンギャルドなジャズシーンにも出入りし、このときも新進のジャズ奏者をマネージャーのようにして連れてきて小樽でコンサート開いた。コンサートは朝まで続き、ジャズ奏者は札幌からやってきた若い女性ファンと雲隠れした。
ふてくされた従姉はぼくを海水浴に誘ったわけ。水着で浜辺に二人並んで寝そべり、最近送ってくれたロレンス・ダレルの小説『アレキサンドリア・カルテット』が話題になった。読んだか?と言うから、最初のジュスティーヌの巻だけはなんとか、と答えた。ジュスティーヌをどう思う?と言うから、彼女のエキセントリックなところが従姉を思い出させる、と言ったら。従姉は嬉しそうに起き上がってぼくに覆い被さり、頬にキスしてきた。そのとき胸の膨らみを感じた。彼女は腕を伸ばしてぼくを見下ろし、海辺でこういうシュチュエーションになったときにジュスティーヌは何と言ったか?、と詰問めいて言う。
ぼくは「もしわたしたちがこうなったら・・・あなたは何て言うかしら」と答える間、従姉は下腹部に力をこめて一層押しつけてきた。