映画『ゴッドファーザー』を見て家族について想う

家事に介護に仕事にと追われまくる毎日でかなり大変だけど、介護の中で気づいたことがあるので記録しておこうと思う。ぼくは家事と介護には時間も労力もさいて一所懸命にやってると思う。でもな、ぼくがどんなに努力しても決定的に欠けたものがあると気づいた。体力の弱ったカミさんが真に求めているのは、精神的存在としての夫であり、父親の優しさだろうと気づかされた。父でも夫でもないぼく(戸籍上は夫)が、いくら家事や介護に必死になっても、使用人かボランティアがやってるようなものかもしれない、と気づいた。
ぼくは家父長制大家族の中に生まれ育つが、見ないですめばよかった諍いを前に中学生で「家庭」を持たない決意する。その決意は変わらずにずっと続いた。だから、いまさら子どもを作らなかった後悔なんかはない。でも今初めて、子どもを作り、育てる課程で父として夫として成長していくんだと気づいた。ぼくは夫として父として成長する機会を放棄していたんだと今になって分かったが、ぼく自身はそのことを何とも思ってない。今、そうした愛や優しさに包まれることのないカミさんには少しかわいそうかな、って思う。でも今更どうしようもない。
ひょんなことから映画『ゴッドファーザー』の3本を見た。何十年も前に見てるが、改めて見て、家族とは、夫とは父親とはについて気づかされることが多く、すごい映画だと思う。