2001年発行の著書だが、デザイン、編集のアプリケーション・ソフト Adobe InDesign をきっかけとして本書が出版されたと、まえがきにある。InDesignをきっかけに、80年代のDTPを振り返る内容だ。著者は85年、9インチディスプレイの Macintosh を購入したと書いている。
「1985年に出現した Desk-Top Publishing という考え方は、メーカー側・開発側から喚起されたムーヴメントではあったが、その市場化や適用においてはユーザーの思想に立脚しようとするものだった。言い換えれば DTP とは機器、システム環境や作業形式の確立した産業市場がすでにあって、そこにユーザーが訪れ参加するという関連だけで進行するのではない、新しい開発の形態があったはずである。この観点が脱落したまま騒ぎが起こってしまった。」(本書p81)
80年代の Macintosh の出現と共に語られた DTP だった。その当時の思いと現実との乖離が語られているが、難しい表現で書かれた本だ。いまは、通読しただけで深くは理解できなかった。とはいえ、ぼくが9インチディスプレイの Macintosh、MacPlus を買ったのは87年末で、DTP の出現をリアルタイムで体験している。今では、思い出すこともないが、本書によって、その言葉に込められた当時の甘酸っぱい想いがよみがえってくる。87年末のDTPの思いが記録された本として価値があると思う。
90年代は DTP に甘い夢を見つつも現実は写植機に変わる道具としての Macintosh だった。ぼくには長い写植オペレータのキャリアがあった。DTP の甘い夢とはそのキャリアを変えられるのではないかという願望でもあった。しかし、印刷の一工程に参加して、道具としての Macintosh を使っていては、写植オペレータの延長としか思えなかった。
ぼく自身、20年前、DTP に見た夢は、現在のWeb制作に携わることで続いているように思う。大きなサイトであれば、仕事の一部にしか関われないが、小さなサイトであれば、制作の全てに関われる。夢は、まだまだ現在進行形なんだと思った。
「・・・初期の、たとえば Macintosh に Kyoto と Osaka の2書体ぐらしか装備されていなかった頃のデジタルデザインにおいてコンピュータはユーザーに対して想像力の起動を要請していたはずだ。」(本書p183)
Kyoto は明朝体、Osaka はゴシック体。しかも第2水準の漢字は未装備だった。今となっては美しい思い出だ・・・。想像力の起動が今につながっている、はずだ。
デジタルデザイン、迷想の机上 電子思考へ・・・
著者 戸田ツトム
行組版設計 向井裕一
発行 日本経済新聞社、2001年5月