市立図書館の返却棚でいつもは気づかなかったビデオで、思わず借りた。最近は『NO WAVE―ジェームス・チャンスとポストNYパンク』とか『カルト・ロック・ポスター集 1972-1982』を読んで気になっていたニューヨークのライブ・スポット「CGBGs」のシーンがたくさんあって感動した。パンク・ロックの歴史をニューヨーク、ロンドン、ロサンゼルスの当時のフィルムと有名ロック・ミュージシャンの証言で構成されたよくある音楽ビデオだが、パンクの歴史が良く分かった。
パンクはビートニクの精神を受け継ぐイギー・ポップから始まったとデビッド・ボウイが語る。ジム・モリソンがヨーロッパ的だったの対して、イギー・ポップはあくまでもアメリカ的だったと語る。そのイギーのライブフィルムが流れる。そして、ベルベット・アンダーグラウンドとニューヨーク・ドールズとライブ映像が続く。そしてイギリス人のマルコム・マクラーレンが登場して、ロックンロール・ファッションの宣伝にニューヨーク・ドールズをイギリスに連れて行こうと計画するが、その頃の彼らはもうボロボロであきらめたということを残念そうに語る。
それでマルコムはニューヨークを歩き回って小さなバー CGBGs を見つけたと語る。そこにリチャード・ヘルがいて、彼の切り裂いたTシャツから新しいR&Rファッションのアイデアを得たという。1976年のザ・ハートブレイカーズのライブ映像があって、リチャード・ヘルが CGBGs でライブを演るいきさつを語る。
定期的にライブを演る場所を捜していて、CGBGs のオーナーの同意を得て日曜日の定期ライブが実現したんだと語る。当時の CGBGs はヘルス・エンジェルのたまり場のきたないバーで、ニューヨークでもガラの悪い盛り場にあったと続ける。ブロンディーをリチャード・ヘルやニューヨーク・ドールズのデヴィッド・ヨハンセンが見たり、ヘルをブロンディーやパティ・スミス、トーキング・ヘッズが見てたと語る。そして、トーキング・ヘッズ、パティ・スミスのライブ映像。
ロンドン情報に移るが、イギリスのパンク・バンドはラモーンズの影響を受けたと言ってのはクラッシュのジョー・ストラマーだったかな。
再びマクラーレンの話し。彼のショップの常連に呼びかけてR&Rバンドを作ったと語る。試しにショップのジューク・ボックスに合わせてジョニー・ロットンが歌ったけれど、それはノートルダムの怪人のようだったと笑う。ライブ映像はセックス・ピストルズからクラッシュと続く。ピストルには発展はなかったがクラッシュは実験精神があって音楽的に進歩して行ったと誰かが語る。
ロサンゼルスに移って、X のジョン・ドゥが語る。LAのパンク・ロック・シーンを作りあげた200人は社会に溶け込めなかった単なるアーティストじゃない、労働者階級のボヘミアンだったと。そして、Xのプロデューサー、レイ・マンザレク(The Doors)が語る。78年~80年は66年~67年のLAによく似ていた。ストリートとクラブでの動きが戻ってきた。ぼくらが演ってた15年前のサイケデリック・ジェネレーションと全く同じ状況だ、パンクに変わっただけだ。X の歌詞はビートニクの影響を受けている。50年~52年のビート全盛を思わせる、と。
次いで、1993年シアトル、ニルヴァーナのライブ映像。レッド・ツェッペリンのロバート・プラントがニルヴァーナについて、アメリカ独自のバンクが生まれたのが90~91年だと語る。ニルヴァーナのフィルムが流れ、ライブ会場の一人の客がカメラに向かってジャケットを広げてTシャツを見せる。そこには Sonic Youth。おっと、次はソニック・ユースかと喜んだのはつかの間、ビデオはそこで終わる。