とても面白くて上質の喜劇作品。40年振りにテレビモニターで見て楽しく笑って見た。1960年の作品だが、この年にはルネ・クレマンとアラン・ドロンの同じコンビで『太陽がいっぱい』がある。それに比べて『生きる歓び』の方は余り評判になっていない。というか『太陽がいっぱい』の人気がすごかった。貧乏な青年の犯罪を描いたシリアスな内容が、ちょっと憂いを含んだアラン・ドロンにぴったりだった。この年には、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」にも主演している。こちらも貧乏な青年の哀しい映画で、ドロンはぴったりとはまっていた。これらのシリアスなストーリーの映画に比べて『生きる歓び』は、貧乏青年の役という点では同じなんだけど、喜劇という点でどうしても分が悪い。しかし、アラン・ドロンの美しことには変わりはない。
『生きる歓び』は1920年代初期のローマが舞台。第一次世界大戦と第二次世界大戦に挟まれた平和な時代だけど、ロシア革命の余韻が残り、ファシストが活動を初めていた、ちょっと複雑な時代の話。この映画で笑うにはその辺りの歴史の知識が多少は必要になる。アラン・ドロンの役は孤児院で育った青年。女性に目がなくて、宗教を素朴に信じ、思想性ゼロの好青年。
そんな彼がひょうなことからアナーキストの一家の世話になり、本部から派遣された生え抜きの活動家という嘘をつくことから、笑える騒動がつぎつぎに起こる。ファシスト、アナーキスト、無神論者、キリスト教、さらには、警察や軍隊など、権威を皮肉った映画。いかにも60年代の作品という感じ。
この頃のぼくは、中学から高校にかけて、それまで見ていた西部劇なんかの活劇から卒業して、ヨーロッパ映画を見始めていた。ルネ・クレマンを有名にしたのは戦後(第二次大戦)すぐの『鉄路の闘い』だが、映画雑誌なんかではそれが神話のように語られていた高名な監督だった。そういう意味で、ぼくが本当にルネ・クレマンに感動したのは、『太陽がいっぱい』と『生きる歓び』の少し後にリバイバル上映された『禁じられた遊び』だった。ラジオからはいつも、それらの主題曲が流れていたものだ。