再びブライアン・フェリー

再びブライアン・フェリー。2日前にブライアン・フェリーのライブ動画をYouTubeで見て、ヘロヘロだった体にも元気が出てきたって書いた。それから連日ブライアン・フェリーのライブ動画を見続けているが、ついに今夜は Roxy Music 名義のライブ動画を見た(2001年ロンドン)。おお、何と絢爛豪華でありながら耽美であることに酔ってしまった。一言でいうなら “贅沢” なライブだ。一緒に見ていたカミさんがフェスティバルホールのライブ(1983年)を思い出すワ。このロンドンとそっくりだった、と言う。えー、オレは Roxy Music のライブに行った記憶がさだかでない。ほんまに行ったんかいな? と聞き返すと、カミさんは大いに楽しんだが、オレはそのライブを楽しんでなかったと、せっかくいい席を買っているのにとまで言う。そのうえ、終わって会場で(ロックマガジン)の阿木譲さんから「キミたちもこんな “贅沢” なライブに来るんだ」と言われてしまったのよ、と。もちろんニコニコ笑いながらだったけど。阿木さんのこのシニカルな言葉はある意味あたってる。ぼくたちは左翼活動家だったことを阿木さんは知ってるし、左翼から足を洗ってからもフリージャズのジョン・コルトレーンの音楽に人種差別反対の公民権運動への強い共感を読み解くとか、音楽と政治を結びつけるクセがあった。だから、1979年のザ・ストラングラーズのライブは彼らが中産階級じゃなくて労働者階級の側にあることを感じさせたから狂喜したし、三島由紀夫のスライドを大写し、その前で熱狂的に歌うジョー・ストラマーのザ・クラッシュの1982年のライブにもオレは狂喜していた。かれらのライブは今でも鮮明に覚えている。なのに、同じ頃の Roxy Music のライブを覚えてないのはブライアン・フェリーに中産階級の退廃を感じてオレは不服だったのかもな。そうだとしたらとても残念なことだった。実は彼、労働者階級の出身らしい。ま、現実はそんなもんだろう。今、YouTubeで観ると阿木さんの言うとおり “贅沢” な時空間を与えられた極上のライブだったに違いない。その阿木さんとブライアン・フェリーは同い年、阿木さんも歌手としてステージに立っていたことがある。その阿木さんが Roxy Music のライブを “贅沢” と言うとき、ステージを見つめたそこに羨望する眼差しがあったのかもな、と思ってしまう。その阿木譲はもういない。同じく “贅沢” に酔ったカミさんは「要介護4」の認定をつい先日受けたばかりだ。「要介護4」というと介護施設でお世話になってても不思議じゃない体だ。在宅介護の我が家では、介護人のオレがおしっこを手伝う体の状態というわけさ。時間の流れに残酷さを感じている今日この頃のオレだよ・・・。

Roxy Music live At Apollo, London 2001

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