ブライアン・フェリー ”Don’t stop the dance”

台所に山になってる食器と鍋やフライパンを片付けながら、ブライアン・フェリーの ”Don’t stop the dance” をリピートにセットして繰り返し聞き続けてた。ちょっとステップを踏みながら。そしたら泣きたい気分に襲われた。ブライアン・フェリーが繰り返す ”Don’t stop the dance” が胸にジンとくる。
金曜日に仕事でちょっとややこしい作業で完徹してしまった。寝たのは翌土曜日の午後になってた。まだまだクラブパーティで朝まで踊れるぜ!フロアフレンドのみんなに褒めて欲しい気分だ。で、台所が食器で山になったわけ。 泣きたい気分になったのは、オレはもうクラブパーティに行くことはないだろう、とはっきり分かったからだ。いくらなんでも要介護4のカミさんを一人おいて夜遊びはないよな。ダンスの季節は終わった!!
毎週のように週末はクラブ通いを続け、フロアでヘロヘロになる朝までダンスを続けた。多いときは週に三日、二日はざらだった。そんなことを10年以上も続けた。これだけ踊ってダンスのある境地に到達している、とオレは思うわけ。これが ”Don’t stop the dance” のダンスのことだと思う。体が元気でステップを踏めるまではパーティ通いを続けるだろう、と思っていた。そうだよ、終わりは何でも予定外に突然やってくるもんだ。
クラブパーティへ行かなくなって1年が経つ。聴く音楽も変わった。最近はブライアン・フェリーだ。70年代は彼がリーダーのロキシーミュージックをけっこう聴いてた。80年代のライブにも行った。絢爛豪華で耽美なステージだった。当時はまってたパンクとは異質な世界観だった。案の定、ライブが終わってすぐにロックマガジンの阿木さんにつかまり、キミたちもこんな贅沢なライブに来るんだね、と笑顔で言われた。阿木さん独特のシニカルな皮肉だ。だが、ロック評論家の阿木さんはぼくにとってロック思想家であり、『ロックマガジン』誌と松岡正剛氏の『遊』誌に連載するロック評論は、まるで「詩」だった。
音楽とのかかわりはアイデンティティーを探す旅みたいなものだ。十代ではじめてジャズを聴いたときからそうだった。70年代にパンクロックを聴き、00年代に踊り始めたが、いまダンスをやめた。でもダンサーであることに変わりないから、これからは介護人だと胸を張って言うつもりだ。悲壮感はないよ。

Bryan Ferry – Don’t Stop the Dance(Live)