4日前だけど、コロナワクチン2回目の接種を受けてきた。副反応は1回目より2回目の方が強く出ると聞いていたので心配していたが、ぼくの場合はたいしたことなくて良かった。倦怠感も1回目と同じ位だったかな。熱も37.1℃とたいしたことはないが、体がほてって、友だちのアドバイスであらかじめ用意しておいたガリガリ君がうまかった。
2回の接種を終えたけど、これまで通り警戒感をゆるめずに人混みをできるだけ避けるつもり。カミさんの介護もあるし、夜遊びの再開はない。そもそもワクチンの効果をあまり信じてない。ネット上にはさまざまな情報がのっているが時間が取れないので余り読んでない。最初はワクチン接種を受けるつもりはなかった。だけど、目に見えない大きなうねりのようなものに流されるように接種の気持ちが強くなった。受けるか受けないか、しばらく迷っていたが、YouTubeなんかでよく見るぼくの好きな知的な人たちが次々に接種したと言うのを聞いて受けることにした。
ぼくがはじめてのコンピューターを購入したのは30年以上も前で、Macだった。まだ、時代はデジタルではなくてアナログだった。ぼくは大規模な印刷機材展があると必ず行っていた。年々デジタル機器の展示が増え、まさに目に見えない大きなうねりのようなものに流されるように高価なMacを購入した。その頃、好景気に陰りが見えてきたとはいえ、同業者たちは競うように車を購入していた。
そんな彼らからさんざん冷笑された。スギヤは高価なおもちゃを買ったものだ、と。直接言われることもあったから、陰ではずいぶんとその噂で盛り上がってたんだと思う。しかし、デジタル時代はすぐに、すごい勢いでやってきた。慌てるようにMacを購入しても、仕事のアナログからデジタルへの転換は簡単じゃない。今から思うと、ぼくを冷笑していた同業者たちも時代の転換点にいることを感じながらも、変化が怖かったんだろう。
iPhoneの時だって、そうだ。新しもの好きのカミさんがすぐに買ったけど、ぼくはしばらく遅れて買ったが、ガラケーが iPhoneに変わると感じていた。でも、当時の雑誌やネットでは、日本でiPhoneが受け入れられないだろう、という記事がすごく多かった。これだって、ガラケーからスマートフォンへの変化が怖い大衆の心理をデジタル評論家たちが代弁していただけだろう。
コロナはただの風邪、という話しはネット上でよく目にする。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、そうでなかったらヤバいな、というのがぼくの想いだ。このとき、アナログからデジタルに時代が変わった当時、ガラケーが iPhoneに代わった当時を思い出す。変化するとき、変化を認めたくない主張が強くなるというのがぼくが過去から学んだことだ。コロナ禍でどんどん世の中が変わりつつあると思う。もう、元に戻ることはないんじゃないかと思う。ま、ぼくの場合はカミさんの介護という予期せぬ展開になってしまったから、元に戻ることは完全にないけどな。