中島祥文氏のアートディレクターとしての仕事を紹介する本。広告制作にあたって、企業や商品に向き合う氏の姿勢から得るものが大きい。ウールマークの仕事が多く、アパレル、洋酒、百貨店、自動車などの新聞広告などのグラフィックデザインやCM、ブランディングデザインなどが、大判のページに作品が掲載されている。この種の書籍としては掲載サイズが大きく、広告を考える参考にしやすい。
巻頭に西村嘉禮氏の「アートディレクションの跳躍」がある。その中で中島氏の言葉を引用している。
『ADC大学:アートディレクションの可能性』の中で中島はこう述べている。「アートディレクターの役割は、社会環境や企業などが抱える問題を分析し、本質とは何だろうと問いかけ、解決への道をコンセプトとして指し示すことから始まっている。その解決への道にはビジュアルによる思考がベースにある。」
以下で西村氏は「ビジュアルによる思考」とは何かと問いかけているが、本書を読むことが「ビジュアルによる思考」に近づく一歩なのだと思う。
巻末には「受け継がれるデザイン」と題して、葛西薫氏と中島英樹氏が対談を行っている。ここでは、グラフィックデザインの文字についての言及が多い。中島氏は、モリサワのA1書体を写植でべた組みしてもらって、中島祥文さんの広告に重ね合わせたりして、スペーシングのテクニックやタイポグラフィの構造を勉強したと語っている。本書の作品の明朝体のほとんどはA1だ。
現在では、Macの中でA1書体を使うことができる。やはり葛西氏が語っている。「A1を使って、同じように組んでみたんですね。でも、やっぱり写植とフォントじゃ違う。”同じ” にはならない。
なるほどと思うがぼくにはよく分かる気がする。ぼくは写植のオペレータを長いことやっていた。Macが登場して写植業は消滅するのだが、その時に廃業するまで、写植機とたくさんの文字盤を所有していた。
ぼくの場合は、写研書体を多く揃えていることが売りで、多くのグラフィックデザイナーの支持を得ていた。日経新聞や朝日新聞に掲載される仕事をやっているグラフィックデザイナーからの仕事の依頼も多く、彼らとのやりとりのなかで、ぼく自身もグラフィクデザインを学んで行った。
当時のグラフィック広告では、写研の石井書体である「中明朝体OKL(オールドスタイル)」と「太明朝体OKL」が全盛だった。これを今の感覚では、つめ過ぎに感じるほど、ギチギチに組むというのが流行だった。写植オペーレータに差がでるのは、スペーシングをどこまで配慮して組んでいるかだった。
タイトルなどは、グラフィックデザイナーが一文字ずつカッターナイフをいれて、スペーシングを調整していたものだ。その上で、中島祥文氏の文字組を改めて眺めると、本当に美しい。今ではIllustratorなどを使えば、スペーシングを限りなく試行錯誤できる。でも、本書の作品のように組めるデザイナーはちょっといないと思う。葛西氏が語るように、写植とフォントは何かが違うのかもしれない。
《参考サイト》
□モリサワ A1明朝
http://www.morisawa.co.jp/font/fontlist/details/fontfamily006.html