情報革命バブルの崩壊 / ネットがあちら側は踏み進むべきフロンティアとは限らない、に刺激を受ける

情報革命バブルの崩壊 (文春新書)山本一郎 著(文藝春秋[文春新書667]、2008年11月発行)

ネット業界に従前の秩序を回復することがポストカジノ経済の具であったIT企業群の命題とするならば、局地的なアンシャンレジームのような揺り戻しを受け入れるしか方法がないだろう。ネット界隈が一般社会の価値観や秩序の枠組みに取り戻され、普通の社会の延長線上にネットがあるのであって、ネットが必ずしも「あちら側」の踏み進むべきフロンティアとは限らない、ということを、よく理解するべきと考えるのである。(p177)

と本書は結ばれている。「あちら側」とは、ぼくの読んだ本では主に梅田望夫氏が用いていたはず。梅田望夫氏について、本書では「第1章 本当に、新聞はネットに読者を奪われたのかの?」の冒頭で、次のように言及している。

端的な話、その情報革命に、旧来のメディアは取り残されてしまったのだろうか? テレビが発明されてラジオが情報発信の花形から追い落とされたのと同じく、ネットの発展によって新聞業界はこのまま零落していってしまうのだろうか? では、雑誌や単行本を擁する出版業界はどうだろうか?
インターネットが産業として成長を続けていく中、様々な言説や教条的な神話のようなものが喧伝され続けてきた。梅田望夫氏や佐々木俊尚氏がGoogleの革命的なビジネスモデルを引っ提げ、情報産業が旧来型メディアから読者の眼球を根こそぎ奪い、爆発的な成長を続けている神話について、宣教師のように読者に語りかける。(p18)

両名の愛読者のぼくとしては、山本氏の本書はとても刺激的な内容だった。ただ、ぼくは数日前に岡嶋裕史氏の『衝撃のビジネスモデル』(2007年5月刊)を読んだばかりだった。現在のネット状況が立ち行かなくなるという現状分析では似たものがあるので、今は、ユートピアのようなネット世界観が崩れゆく論調に変わっているのかもしれないと感じた。

山本氏はまえがきで、15年にわたって、投資の方面から証券市場でのネット業界の成長を見守ってきたと自己紹介している。著者が対象とするのはさまざまなIT企業群で、個人レベルの話ではなさそうだ。梅田氏や佐々木氏が対象とするのはネット社会の個人のスタンスであるとぼくは読んでいるので、山本氏の梅田氏、佐々木氏への言及をどのように受け止めていいのか分からないところもある。

しかし、現在のIT企業を支えていたのは、金余りの投資市場であり、成長し続けるというIT産業への幻想だった。それゆえ、この不況化と画像データなど、ますます増大しつづける情報量にインフラが追いつかず、アンシャンレジームとして収束しるしかないとする著者の主張は説得力があり、刺激的だ。

ぼくとしては、Web2.0という言葉で象徴されるITで生まれた個人の理念は、本書の言及からはずれたところにあると思いたい。しかし、IT産業を支えるインフラがおぼつかなくなれば、個人の理念など消し飛んでしまうかもしれないとも思う。本書を読むことで、現実の動向を注視するテンションがあがるだろう。

第1章「本当に、新聞はネットに読者を奪われたのか?」における広告代理店のWebでの動向。第2章「ネット空間はいつから貧民の楽園に成り下がってしまったのか?」でのネット論調を形成する人びとの分析。第3章「情報革命バブルとマネーゲームの甘い関係」での堀江貴文氏の実刑判決の意味。第4章「ソフトバンクモバイルで考える時価総額経営の終焉」でのソフトバンクの危機的実態。第5章「〈ネットの中立性〉とネット〈無料文化〉の見直し」での普通の社会の延長線上にネットがあるという話。等々、テレビのニュース報道の解説では得られない密度の濃いものでひたすら感心して読んでしまった。

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