10月に「青春のロシア・アヴァンギャルド展」を見た。それに刺激されて、『ロシア・アヴァンギャルド 』(亀山郁夫著)を読んだ。その流れで何の予備知識もないままに本書を読んだ。チェコというとチャペック兄弟ぐらいしか知らない。彼ら以外のまったく知らないチェコのアーティスの名前が出てくるので、はじめは読みにくかった。途中まで読んで、わけが分からなくなって再び最初から読み返した。そうしたら本書の流れが少しつかめて、ヨーロッパにおけるアヴァンギャルドな運動がイメージされてきた。ヨーロッパの各所で同時的に興った、そのダイナミックな運動が、ぼくにとっては、今までと比べて、ずいぶんとリアルに思いをはせることができるようになった。それが本書の力に違いない。
これまでは、ヨーロッパのアヴァンギャルドとして、未来派やダダ、バウハウス、シュルレアリスムなどを個別に眺めていたと思う。本書の視点はチェコのプラハからヨーロッパに向けられたものだ。それによって、この時代の芸術運動が複雑に結びついて、リアルな運動として認識できるようになる。
ベルリンの作曲家ハアヴァルト・ヴァルデンが1910年に創刊した汎ヨーロッパ的広がりをもった文芸雑誌『デア・シュトゥルム』の紹介から本書は始まる。プラハについては、1920年、若いアーティストたちによる「デヴィエトスィル芸術家協会」の旗揚げが重要事項。その運動の牽引者はカレル・タンゲ。この名前を記憶しておきたいと思った。
デヴィエトスィルの主張はポエティスムというものであるらしい。「ポエティスム宣言」は次のように書かれている。
われわれがポエティスムと呼ぶところの新しい芸術が、生活のアート、生きること、楽しむことのアートとするなら、それは、ことの成り行きとして、毎日の生活の、しかるべき部分でなくてはならない。スポーツ、恋愛、ワイン等々、すべてのレジャーと同様、楽しいもの、近づきやすいものでなくてはならない。それは職業などではありえない。むしろ、普遍的なニーズとなるに違いない。
ポエティスムは哲学的な方向性をもっているわけではない。・・・文学ではない・・・絵画ではない。・・・狭義の意味でのイズムではない。・・・普通に使われているロマンティックな意味での美術でもない。・・・とどのつまりが、ポエティスムとは生活の仕方なのだ。生活の機能であり、かつまたその目的の充足なのだ。
(p61)
ベルリン・ダダやイタリア未来派、バウハウス運動、シュルレアリスムそしてソヴィエト・ロシアの生産主義など時代のさまざまな潮流の中で、プラハの若い芸術家が何を目指そうとしたのか、胸を打たれる。しかし、これらの芸術運動全体がソ連のスターリニズムやドイツのナチス運動といった中で困難な時代を迎えることになる。
本書の前半の約3分の1は、当時の貴重な雑誌、書籍表紙のカラー写真。斬新なタポグラフィや洗練されたコラージュが堪能できる。本文の組版はシンプルだが、紙質と共にこだわりの感じられ、すばらしい装幀となっている。