何冊か梅田望夫氏の著書を読んでいるが、本書がいちばん易しく、おもしろく読めた。ぼくは、梅田氏の著作から将来への夢を得ている。本書も例外ではなかった。
本書は1975年生まれの作家平野啓一郎氏との対談が本になっている。両氏の間には、ネット観に隔たりがある。その隔たりを超えて相手を理解しようとする両氏のスタンスのせいで、読者はひとつ一つの問題への理解が易しいのだと思う。
両氏のネット観の隔たりについて、ぼくは梅田氏の側に立つ。平野氏は古い共同体意識みたいなものを引きずっているように見えること、そして、社会における個の積極的な関与みたいな考えにも違和感を持った。いや、平野氏の思いは決して悪いことではなく、前向きな思考であることは理解できるが、社会の変化はそんな個人を飲み込んでいるのが現状だと思う。
梅田氏があとがきに書いているが、「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきかを最優先に考える」という点にすごく共感している。平野氏にはこの社会変化を実感できないのではないかという歯がゆさを感じた。それは恵まれた階層にいるからではないかと思う。平野氏を始めとして、恵まれた階層の人々や様々な既得権を持っている人たちは社会変化を直視したくないに違いないと思う。
本書でも1995年を日本におけるネット元年だと言っている。その年、ぼくは減り続ける仕事量に苦しんでいた。印刷関連業種の一つである写植業を営んでいたが、コンピュータの登場で、先の見えない状態だった。コンピュータによるDTPの仕事を受注していたので、写植業の仕事の減少をいくらかはカバーしていた。1995年は売り上げが半々になっていた頃だと思う。しかし、売り上げ全体は落ち込む一方だった。
減り続ける写植業の売り上げにもかかわらず、簡単に廃業できなかったのは、個人としては多額の設備投資をしていたので踏ん切りをつけることができなかったからだ。写植業として独立した1977年には、引退時には設備を非常に有利な条件で転売できることが確実な時代だった。だからぼくは売り上げの大半を、貯蓄に回すよりも設備投資につぎ込んだ。それによって仕事に恵まれたことも事実だ。1997年に事務所をたたんで写植業から完全撤退したときは、廃品業者に18万円を支払って、設備の全てを処分した。独立時にあてにした引退時の大金はなく、ぼくは否応無くサバイバルと直面した。
業態が消滅するとは表現しがたい事態だ。自分の借金で廃業という方がよほど救いがあるだろう。梅田氏の「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきかを最優先に考える」が実体験から骨身に染みている。業態を奪ったネットにしかサバイバル見出せないという現実は皮肉ではない。梅田氏の言葉にはこうした現実に前向きな夢を見せてくれる。
最近は身近なところで、ネットの弊害を聞くことが多かった。よく見ると、安定した社会的立場や既得権を持って、ネットを利用している人々だった。ぼくのようにITやネットで業態を失った人間からは、社会変化を直視することを避けているようにしか見えない。
ウェブ人間論
著者 梅田望夫、平野啓一郎
発行 新潮社(新潮新書)、2006年12月