nu things の ニクラス・ウインターとユッカ・エスコラ、そして native の夜(2)

ぼくには忘れられないジャズギター奏者のライブが2つある。デレク・ベイリーとソニー・シャーロックだ。記録を残していないので何時のことか覚えていない。ネットで調べたら、松岡正剛氏の有名な千夜千冊に『インプロヴィゼーション』デレク・ベイリーという記事があり、氏は1978年にデレク・ベイリーを聞いていると書いている。氏にデレク・ベイリーを教えたのが間章ということも書いている。

そうだ、ぼくがデレク・ベイリーを聞いたのはこの時の日本ツアーだったのだろう。京都の西部講堂だった。黒い革ジャンの大柄な男、プロデューサーの間章(あいだあきら)が忙しそうに会場を行き来していた。まだ寒かったので1978年も始め早春だったのだろう。ぼくは気分が悪くて、会場の裏の雑木林を歩いていた。先客がいた。デレク・ベイリーだった。コートの襟を立ててうつむき加減で歩く姿は思索する哲学者という風で、ぼくは遠慮して退散した。演奏は散歩から戻った哲学者が著作の続きをしているという感じだった。ところで、間章はその頃「ロックマガジン」誌にエッセーを連載していたが、その年の12月に他界している。

ソニー・シャーロックについては、阿部薫のアルバムのライナーノーツで有名な小野好恵氏の「Cahiers du jazz 24 ソニー・シャーロック」という記事が見つかった。

R&Bやジャズで育ったビル・ラズウェルがハービー・ハンコックの「ロック・イット」をプロデュースして、音楽シーンに衝撃を与えたのは83年のことだが、その時、ビルはソニー・シャーロックとバンドを組み、ラジカルな表現を追求した。“ラスト・エグジット”というのがバンド名だが、そこでのソニーの復活ぶりは本当に凄かった。昔のように過激なだけでなく、ブルース・フィーリングに充ちた泣き節に、彼の成長を見る思いがしたものだ。
この時のライブを見ているのだと思う。梅田の小さなホールだった。客は関西中からインテリな音楽ファンが集合したという風で、大柄なソニー・シャーロックのアグレッシブなプレイに度肝を抜かれたようなライブだった。

ニクラス・ウインターの印象はデレク・ベイリーとソニー・シャーロックの中間だ。主催者の紹介文、「ジャジー且つ叙情的なギタープレイは絵画のように北欧の景色を描き出す。」とは似ても似つかないプレイを聞かせてくれた。デレク・ベイリーとは表現が違うもののフリー・インプロヴィゼーションでは血のつながりを感じて強く感動した。

ユッカ・エスコラにしても、アルバムからは想像できないアグレッシブなプレイで、前回の06年2月22日のプレイとは違う、何かを解体するような、そんな印象を持った。ラウンジ系などではくくれない、今を表現する一人のジャズプレイヤーであることを強く印象付けた。(つづく)