1961年アメリカ映画、エリア・カザン監督。思い出の映画は何本もあるが、『草原の輝き』はその中でも強く印象に残っていた。映画の主人公たちと同じ高校生に見たことで、いろいろな意味で強い衝撃を受けたことを覚えているが、具体的な記憶はナタリー・ウッドの美しさに惹かれたことだけで、ほかのことは全く覚えていなかった。とくにラスト・シーンの昔の恋人に会いに行くナタリー・ウッドの白い帽子と白いドレスは、何十年も記憶に刻まれていたのだから、よほど強い印象を受けたに違いない。
大事にしてきた青春の思い出の映画だったが、今見ると、がっかりした。なにか安っぽい映画という印象がいなめない。それは、60年代後半からのアメリカン・ニューシネマをたくさん見続けたせいだと思う。アメリカ映画の場合、アメリカン・ニューシネマを通過してしまっては、それ以前の映画はステレオタイプなストーリーに強い違和感を持ってしまう。
いま見ていて、ひとつだけ印象に残るシーンがあった。ナタリー・ウッド役の少女が精神病院に入院するが、そこでのカウンセリングのシーンだった。先生は、彼女に両親とは人間としてつき合えばいい、というようなことを諭す。なるほどな、と思った。当時のぼくもこのシーンには強い印象を抱いたに違いない。けっこう、両親とは軋轢のあった頃だったし。
この映画をストーリー通りに鑑賞するなら、青春の輝きは遠のき、現実を強く生きて行く・・・ということなんだけど、主題は父親が息子を、母親が娘を取り込みながら続いた古き良き伝統の崩壊を暗示しているところにある。そう、アマリカン・ニューシネマまで、まだ少しあるが、状況は目の前に迫っていた頃の映画だと感じた。この映画は、もう二度と見ないだろう。