著者の本は初めてだが、ずいぶんと勉強になった。19世紀半ば、産業革命のイギリスから機械生産が活気づく。職人の手になるそれまでの洗練された「形」が機械によって浅薄に解釈され、ねじ曲げられ、量産される。それに異議を唱えたのが社会思想家のジョン・ラスキンや芸術運動家のウイリアム・モリスだった。産業のメカニズムの中に潜む鈍感さや不成熟に対する美的な感受性の反発が「デザイン」という思想、あるいは考え方の発端となった・・・と本書は始まる。
ラスキンやモリス以後、めくるめく新芸術運動を通過してバウハウスに至る。バウハウスを契機にモダニズムの枠組みの中で「デザイン」という概念が非常に純粋な形で成就する。以後の日本の、アメリカの、そしてヨーロッパのデザインの発達と考え方を解説し、ポストモダンの本質にも触れて、現代のコンピュータ・テクノロジーとデザインに言及する最初の章(デザインとは何か)は読んでいてクラクラするほどの疾走感でデザイン史を簡潔に説明している。
ぼくはデザインの専門教育を受けたことがないので、本書全体が刺激的だったが、特に上記の最初の章がおもしろかった。普段、ぼくの読むデザイン関係の書籍といえばビジュアルを主体にしたものがほとんどだった。それが本書を読むきっかけは、非常にシンプルなデザインのサイト制作を依頼されたことによる。カンプを見て、あまりのシンプルさにプレッシャーがかかった。
カンプ通りに作るのはシンプルなだけにコード的に苦労がない。しかし、そのままに作っては手抜きとシンプルの区別がつかないじゃないか・・・というプレッシャーに襲われた。シンプルなデザインを求めて歩くうちに本書のシンプルな装丁に出会った。その装丁に惹かれるように本書を読んだわけ。シンプルなレイアウトの背後にある思想性を求めているわけだが、一朝一夕に手にできるものでないことは分かっている。でも、何もしないというわけにもいかない。
本書からはデザインにおける高潔さとか、品位ということが理解できたのではないかと思う。理解できたからと言って、すぐに身につくものではないことも分かる。でも、読んで良かった。具体的な事柄では以下の記述に納得。
これまでのグラフィックデザイナーと言えば、ポスターをつくったりマークをデザインしたりする職能だと考えられてきた。しかしながら、元来、デザイナーはそのような単機能の職能ではない。今日、メディアの多様化や情報の量や速度の増加によって、デザイナーが仕事をする場であるコミュニケーションの環境が大きく変化してきている。それにともなってデザイナーの守備範囲は必然的に拡大し、そういう状況に応じて、コミュニケーションとは何か、情報とは何か、さらにはデザイナーという職能とは何かという基本的な土壌を肥やしておく必要が生じている。そうしないと、デザインが社会の中で担うものの内実が希薄になる。(p202)
ここのところは先日読んだWeb関連の本『変革期のウェブ――5つのキーワードから読み解くウェブとビジネスのこれから』とピタリと重なるところだ。
デザインのデザイン
著者 原 研哉
発行 岩波書店、2003年10月
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