マンハッタン物語(上)/ フランク・コンロイ著、音楽小説の傑作

上巻の最後、主人公のクロードは高校卒業を控えた年、現役ピアニストでモーツアルトを弾いたら右に出るものはいないと言われているフレデリクスからモーツアルトのK365、ダブル・ピアノ・コンチェルトのセカンド・パートを依頼された。マサチューセッツ州の屋外で行われる音楽祭の慈善講演で、バックは音楽大学生のオケだが、指揮者はシカゴ交響楽団のコンサートマスター。大観衆の前で最高の演奏で主人公はコンサート・デビューを成功させる。

無茶苦茶におもしろい音楽小説だ。ぼくは十代の後半に、ジャズ評論家ナット・ヘントフの小説『ジャズ・カントリー』に夢中になったが、それ以来の音楽小説の傑作だ。主人公のクロードはタクシー運転手の母親と二人だけで、ニューヨークのビルの半地下の部屋に住み、貧しい暮らしをしている。母親は、朝出かけると夜まで帰ってこない。帰ってくると、ビールを飲む。一息ついて、クロードのために缶詰の材料で簡単な料理を作る。幼いクロードは日がな一日、半地下の窓から道行く人々の足の動きを見て過ごす。小学校に上がると、自分の部屋に置かれた白いナイト・クラブ・ピアノで遊ぶことを覚えた。楽譜を知りたくて、近所の楽器店を訪ねる。

楽器店の店主、ヴァイスフェルトがクロードの才能を見つけて、音楽理論を教え、クロードの成長に合わせて適切な先生の元に通わせる。何人目かの先生がダブル・ピアノ・コンチェルトを一緒に演奏したフレデリクスだった。最初、クロードはヴァイスフェルトから古本の入門者向け教則本を30セントで買う。それが始まりだった。まず最初の先生からは、徹底的な音階練習。そして初見練習。さらには、和音、倍音、平均率とクロードは次々と理解していく。長い期間をかけて、テクニックの基礎を習得して10才になった時、『平均率クラヴィア』のレッスンをはじめる。そして13才でフレデリクスからレッスンを受ける。最初の日、バッハの二声インベンションを弾くように言われる。次に師が同じ曲を弾くのを聞いてクロードはそこに「音楽」を聞いて衝撃を受ける。

クロード15才、フレデリクスのレッスンは卒業している。カフェテリアでコーヒーを飲んでいると、サックスのケースを持った男が向かいに座った。話しかけてきた。クロードがピアノでクラシックを弾くと聞いてうらやましいと言う。クロードはブギブギも好きだと言うと、「そうか、ブルースが好きってことか、バード(チャーリー・パーカー)がブルースを変えた、って知ってるか」。クロードには理解できない。「ビバップのことだよ」と男が言う。

驚いた、ずーっと、クラシック音楽の小説と思っていたら、何の前触れも無くジャズのコアな話題が唐突に出てきて驚いた。クロードは高校に通学して、友人を得る。彼とピアノに並んで座り、友人には簡単なフレーズを繰り返してもらう。クロードは3つの和音を弾き、2度目は24の和音を弾いて友人を驚かせる。驚く友人に「ビバップだよ」と。さらには「パーカーの作品には対位法や転調がたくさんつかわれている。バロックっていってもいいくらいだ」。12音階の説明もあり、当然シェーンベルクの名前がでてくる。

ぼくには音楽理論の知識がないから、そういった部分は理解できない。理論に通じる人なら何倍も面白く読めるのかもしれない。理論は無知だけど、30年も昔の話しだが、友人の家でバッハのレコードを徹底的に聞いた。そしてシェーンベルクとヴェーベルンも。彼はジャズ喫茶の店長をしていて、店ではチャーリー・パーカーを聞かせてくれた。小説を読みながら、そのことを思い出した。家というのは、大阪市のはずれ、小高い雑木林に隠れた一軒家だった。大阪近郊では珍しく、雪が積もるほど降った。泊まりがけで、朝までレコードを聴くことが何度もあった。たいてい、バッハの『音楽の捧げもの』からスタートした。そんな、とても贅沢な時間を持っていたことがある。その体験はこの小説を読む助けになった。

マンハッタン物語(上)
原題 Body & Soul
著者 フランク・コンロイ((c) 1993 by Frank Conroy)
訳者 西田佳子
発行 講談社(講談社文庫)、1994年5月

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カテゴリー: 読書