11月29日、30日と大阪市は予告通りに岩手県から運んだガレキ焼却を行った。ガレキには放射性物質やアスベストを始めとする様々な有害物質が含まれているため健康被害が懸念された。
焼却の日に向けてぼくは放射能被曝に関する本を10冊ぐらい読んだ。さらにネットでも情報を追うなど大変な時間を使った。被曝から目を背けることができなくて、情報を追う日々だった。仕事に支障がでるほど放射能に夢中になった。被曝をするかもしれないことが心配だったが、市民の健康が犠牲になる可能性がありながら焼却を実行する理由を知りたかった。
そして迎えたその日は部屋に閉じこもって窓を開けず、換気扇も必要最小限の使用に留めた。30日の夕方や夜には外出、1日は雨に降られた。もちろん粉じん用マスクも購入し、外出時に装着したばかりでなく部屋でも数時間装着した。これらの対策を経験したうえで分かったのだが、放射性物質から身を守ることはほとんど不可能だ。1日の午後は焼却以来最初の雨だった。雨には避けるという知識があったにも関わらず、迂闊にも降っているのに気づかずに歩いていた。リュックの折りたたみ傘をさしたが、スーパーに入る際、濡れた傘をどうしようとか考えたらキリがない。
ということで、2月から始まる本焼却に対しての防御は絶望的に難しいと骨身にしみた。難しいからと自暴自棄に陥り、対策を放棄してしまうことが怖い。完璧な対策はできなくてもできることはしようと思う。
ただ対策のモチベーションがぼくの場合、放射能への恐怖とそれを操る為政者への憎悪と怒りこそが支えだった。このことは反省しなければならないと思った。恐怖や憎悪、そして怒りを抱え込んで残りの人生を過ごしたくない。だからといって放射能を無視するなんてことにはできない。そんな選択肢は考えられない。試験焼却が終わって、今後の放射能被曝へのスタンスを考える時だと思う。