村上春樹著『1Q84』とギリヤーク人

『1Q84』のBook 1をやっと読み終わった。最近、『ねじまき鳥クロニクル』は、日中戦争当時の満州のことが書いてあることを知った。著者とほぼ同世代として、日中戦争をどんなふうに書いているのか気になって、ねじまき鳥を読んだわけ。戦争については複雑で、一度の通読ではあまり理解できなかった。続いて、『1Q84』を読み始めたのは、やはり60年前の戦争のことが書かれていないか、期待があったから。

でも、それは今のところない。あとの興味は、なぜこれが非常に多くの人に読まれているのかということ。なぜなんだろう。よく分からない。ストーリーはおもしろいが、登場人物に共感するということはない。読者はどこか安全なところにいて、登場人物たちを観察しているという感じ。だから、おもしろいストーリーだけど、我を忘れて没頭するという次元ではない。これは、ねじまき鳥でも同じだった。

このBook 1の後半で、主人公の一人が少女に一冊の本を読み聞かせるシーンがある。それが、チェーホフの『サハリン島』。1890年、30歳のチェーホフはサハリンに旅をしたと説明がある。『サハリン島』はその滞在をもとに書かれた紀行文のようなものらしい。チェーホフの名前を知ってるけど、読んだことがないし、『サハリン島』なんて全く知らなかった。でも、これは読まなきゃって、思った。

サハリン島の先住民であるギリヤーク人の部分を主人公は読むわけ。当時の北海道には先住民のアイヌがいた。アイヌとギリヤークは違う民族だが、アイヌと隣り合っていた民族として、チェーホフの描写が気になった。

ぼくは小学生のとき、北海道の中でも最もアイヌの人たちが多く住む地域へ引っ越した。クラスにも当然、アイヌの子どもたちが多かった。高校の終わり頃まで、その地域で暮らしたせいか、年ごとに、アイヌの神や文化についての思いが強くなっている。 そんなことがあるので、『1Q84』のギリヤーク人に反応した。

投稿日:
カテゴリー: 読書