溝口健二監督/残菊物語

1939年作品。NHK衛星放送の溝口健二特集をリアルタイムに見ていたが、さすがに疲れが出て来て、深夜放送分は録画に切り替えた。そして、「残菊物語」は昼間の放映だ。さすがに仕事の都合で、2時間半の大作に時間をつぶすわけにもいかなくて、録画した。録画して良かった。あまりの傑作にほんとうに驚いた。なんと、ぼくとしたことが映画を見ていて、涙を流してしまった。単に年相応に涙腺が緩んでいるだけかもしれないが、初めての経験だ。

内容は歌舞伎の世界を描いた芸道ものだ。陽のあたる世界から落ちていくという芸道ものによくあるパターンだ。成瀬巳喜男監督には「鶴八鶴次郎」(1938年)と「歌行灯」(1943年)がある。どちらも好きな作品だが、溝口の「残菊物語」は全ての点で成瀬の両作品を上回る。しかし、これら戦前の作品に共通する濃密な時間って、いったい何なのだろう。驚くばかりだ。先日は、溝口後期の「新・平家物語」を結構、楽しんで見ていたが、本作品に比べたら単なる娯楽映画だ。いや、「残菊物語」だって、立派な娯楽作品だが、映画自身が娯楽の領域から抜け出して、歩いているところがすごい。

オーソン・ウェルズの「市民ケーン」、ヴィスコンティの「若者のすべて」と「地獄に堕ちた勇者ども」、フェリーニの「8 1/2」、ベルイマンの「野いちご」、ウッディ・アレンの「マンハッタン」、ベルトリッチの「ラストタンゴ・イン・パリ」・・・。数々のスクリーンの記憶と共に「残菊物語」も脳裏に刻まれた。

五代目尾上菊五郎の息子の菊之助の若き日を描いている。奉公人のお徳との悲恋物語だ。東京を出た二人が同棲するのが大阪道頓堀だ。二人が暮らす下宿の2階の粗末な部屋は角座をはじめ道頓堀に軒を連ねた芝居小屋の裏手の路地で、歌舞伎の囃子も道頓堀川の舟乗り込みの喧噪も手に取るように聞こえてくる。その部屋に染み込んだ二人の時間は、まるで生き物のようにして二人に振る舞う。思い出は甘美でもあり、残酷にもなる。

※大阪歌舞伎も首になり、落ちぶれた旅役者での名古屋では、親方にも逃げられる。二人が借りられる宿は間仕切りのない大部屋だけの安宿だ。その部屋に一人の男の声で延々と唄が聞こえている。あれは、何? まるで、ブルースだった。何から何まで凝りに凝った映画だ。

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カテゴリー: Movie