monologue, productionと「ニューロマンサー」と「攻殻機動隊」と

9月1日に歩(alc)で聞いた、monologue, production のサウンドをいまだに引きずっている。k-azとkimiのユニットが肉声と電子音で作り出すサウンドに恍惚となってしまった。これはクセになる。

いま、ぼくたちはリアルな現実世界とは別にネットというあちら側の世界を持っている。リアルは停滞しているのに、あちらは加速度的に疾走を続けている。おまけに、あちらに居る時間がどんどんと増えていく。グーグルでは、世界中の書籍を電子化するプロジェクトが始動している。遠くない将来には、書店や図書館に行かなくても、いま、検索でグーグルに入っていくようにして、お目当ての本を読んでいるかもしれない。そうなればあちら側で過ごす時間は飛躍的に多くなる。

停滞するリアル世界と疾走するあちら側の界面に立つと、画像は歪んで見えるのかも知れない。アイルランド出身の画家フランシス・ベーコンが描く人物画のように歪んだ画像だと思う。不安をかき立てずにおかない歪んだ画像に違いない。界面で画像が歪まないように両方の世界をスムーズに行き来する通路を穿ってくれるのが monologue, production のサウンドじゃないかと思った。

ぼくの愛読書の一冊はウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」で、愛読コミックは士郎正宗の「攻殻機動隊」だ。イメージとしては、両方ともリドリー・スコットの1982年の映画「ブレードランナー」に近い。こちらは、フィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作とした近未来映画だった。

サイバーパンク小説と呼ばれる「ニューロマンサー」は1984年にカナダで出版され、邦訳は86年に出た。ぼくが初めてのコンピュータ、MacPlusを買うのが87年で、この頃に読み始めた。著者もこの小説の原稿は手書きだったと雑誌で読んだことがある。つまり、まだパソコンが一般的でなかった。ティム・バーナーズ=リーがWorld Wide Webを考案するのが1990年だからネットはまだなかった。そんな時代にギブソンはネットのある社会を見事に描いた近未来小説を書いた。

主人公のケイスは大物の盗人に雇われるフリーランスの盗人。最新のソフトウエアを使って、企業システムの壁を貫きデータの沃野に侵入する。そのためには、マトリックスと呼ばれる共感覚幻想の中に、肉体を離脱した意識を投じる特注電脳空間デッキにジャック・インして活動をする。

初めて読んだときは何のこっちゃ状態で、全く理解できなかった。でも、理解を超えたところで共感するものがあって読み続け、3度目でやっとストーリーが少し理解できてきた。今でも内容を理解できてるとは言えない。

士郎正宗の「攻殻機動隊」の初出は89年。しかし、有名になるのは押井守監督が95年の劇場版アニメ「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」からだ。ぼくもアニメが先で、原作本は98年頃に読んで、いまだに読み続けている。これもまた非常に難解なコミックで、理解しているなどとは恥ずかしくて言えない。

こちらは草薙素子(くさなぎもとこ)という内務省直属の攻殻機動隊(公安9課)の現場指揮官を主人公としたもの。彼女本来の肉体はカプセルで保護された脳と脊髄だけで、ほかの部位はサイボーグ(義体化)されている。その脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術により、インターネットに直接アクセスできる。物語の最後で、彼女はその義体化された肉体さえ不要として、広大なネットの中に消えていく。彼女をそうさせる背景には、自分の脳が本当に自分のものであるのか確かめようがないという、アイデンティティの悩みがある。

・・・2007年9月1日午後10時30分、ぼくはmonologue, productionのライブの中で、ケイスと草薙素子が隣で踊っている幻覚を見ていた。それはとても幸せな時間だった。