1956年作品。今回のNHK衛星放送の溝口健二特集の最終放映が監督最後の作品「赤線地帯」だ。録画をしておいた本作を見たので、特集分は全て見終わった。最後の作品と言っても、50歳代で亡くなっているので、晩年の作品ではない。とてもテンションが高くて見応えのある最盛期の作品だ。この映画を支えているのは、京マチ子、若尾文子、小暮実千代、三益愛子の女優陣の演技力だ。ぼくには、田中絹代の演技はどの作品を見ていても過剰なところが気になってしようがない。しかし、本作の女優陣は抑制がきいた演技で、売春防止法が施工される直前の吉原の娼婦が自然に感じられた。
売春防止法は1958年、本格的に施工される。ぼくは20歳代の前半の一時期を大阪西成は山王町の安アパートですごしていた。すぐ近所は有名な遊郭街で、天王寺から遊郭へ通じる細い路がだらだらと伸びていた。その路の両側にはびっしりと、小さな飲み屋が連なっていた。ギターを抱えた流しが行き交い、女装の客引きのきょう声が聞こえる華やいだ路だった。ぼくは深夜になじみの屋台で、オヤジがまいど、毎度「昔、この路は朝まで、人の流れの途絶えることがなかった・・・」と半ば愚痴のように語るのを聞きながら、酒を飲んでいた。それは、60年代後半のことだから、売春防止法の施工の10年後ということになる。施行後は客足が減少し続けたに違いない。おまけに、現在では、その路は大阪市の大規模な都市計画工事によって跡形もない。
本作はまだ売春が合法だった時代の一軒の娼館を舞台に娼婦たちの姿がリアルに描かれている。例えば、世間的親子の情愛を二人の娼婦を通して、破綻させている。親子の情愛はたてまえだ、と言わんばかりで、冷徹にリアリズムを通している。ぼくが芸術映画を見始めるのは中学3年からだから1961年だ。ビットリオ・デ・シーカの後期作品やヴィスコンティなど、イタリアンネオリアリズムの作品がまだ盛んな頃だった。少年のぼくはここまで表現するか・・・と衝撃を覚えたものだ。
まだ第二次大戦の記憶も生々しい頃だから、ヨーロッパでも日本でも、現実を冷徹に見つめようとする時代の空気があったんだと思う。その時代の空気がリアリズムを追求する溝口を後押ししたに違いない。ただ一つ不満がある。他の作品同様に、ここでも男を過剰なまでに馬鹿に描いている。不自然だなーと思ってたが、ここまで溝口作品を見続けてきて感じるけど、男を徹底して馬鹿に描くことが溝口のリアリズムだったのかなと、ぼくの中では、見方が変化して来た。