映画『小さな中国のお針子』から Black music を考えた

2002年フランス映画、ダイ・シジエ監督・原作・脚本。中国の奥地、美しい風景の山岳地帯の農村を舞台にした美しくて切ないラブロマンス映画。しかし、見終わって考えさせられるところがあった。

1960年代から70年代にかけて、毛沢東の中国は紅衛兵で有名な文化大革命が行われていた。この時、中国社会のブルジュア階級のエリートたちは反革命分子とされて、その子弟は再教育を目的として、都会から遠く離れた農村に送られた。

映画は1971年、ブルジュア階級の子弟である17才のマーと18才のルオがチベット国境沿いにある山岳地帯の寒村に再教育を受けるために到着するところから始まる。二人の青年は村人の全てが読み書きができない、文明から遠く隔てられた寒村で過酷な労働に従事する。そして、村人から「小さなお針子」と呼ばれている、老いた仕立て屋の18才の孫娘と親しくなり、3人は恋と友情の狭間に揺れる。

ルオとお針子が結ばれ、彼女は妊娠する。ルオはそれを知らずに、父親の急病のために一時的に村を離れる。残されたマーは愛情を隠して、お針子に献身的に世話を焼く。堕胎には既婚者であることを証明するしかない状況下でそれは非常に難しいことだった。マーの必死の努力で都会の産婦人科医の協力が得られてお針子は手術を受ける。大切なヴァイオリンを医師に売り、手術後のお針子にその代金の大部分を渡して街で好きなものを買おう、と言うシーンは胸に響く。

三人の関係が深くなるには、当時禁書であったフランス文学の多数の翻訳書を見つけたことにある。文字の読めないお針子に二人は小説を読み聞かせる。彼女が特に好んだのはバルザックの小説だった。知らなかった自由を知覚し、彼女は成長し恋に落ちた。そして、一時的に村を離れていたルオが帰って間もなく、お針子は髪を切り、村を出て都会に向かって山を降りて行く。

シーンは何の前触れもなく、27年後、パリのホールでの弦楽四重奏のライブに変わる。ヴァイオリンを弾く有名な音楽家になったマーがいる。そのマーがパリの居間のテレビで、ダム建設のためにあの再教育で3年間を過ごした村の水没を知る。中国に旅経つパリの空港でのあわただしい中で、彼は一瓶の香水を買い求める。

村では、先祖の霊を送る祭りの日だった。これが村の最後の祭りだから、帰ることのできる人は必ず帰ってくると、かつての知人と縁のある婦人の説明を受けて、マーはお針子を必死で探すがついに彼女を見つけ出すことはできなかった。お針子は村に帰ってこなかった。

そして、マーは上海に飛び、医師として成功したルオの一家に歓待される。深夜、ルオとマーはその裕福な居間でマーの撮ってきたばかりの村のビデオを見ながら、27年前の思い出にふける。ビデオの映像はいつしか、村の幻想的な水没のシーンに変わっている。老仕立て屋のミシンの上には、マーがパリで買った香水の瓶が水中で揺らいでいる。とうとうお針子に愛を告白することのなかったマーの心情を象徴しているようで切ない。

映画の公式サイトによると、すでにフランスで映画監督だったダイ・シジエ監督が自身の再教育の体験を元にした小説『バルザックと小さな中国のお針子』という母国語ではないフランス語で2000年に書き上げたのが原作だという。そのとき、どの出版社にも断られる中で、ガリマール社が引き受けて、少部数を発行したのがきっかけで世界的ベストセラー小説になったそうだ。

この映画の小さなお針子は、二人のエリート青年ルオとマーにとってはこころの背景でしかないと思った。しかし、この映画を見る少なからずの観客たちにはお針子こそが全てだと思う。彼女は人生の現場、最前線に向かって自分の足で歩いた。27年後の彼女が世俗的成功の人生を送っていないことは、村の最後の祭りに来ていないことで暗示されている。過酷な人生と即断する証拠もないが、村に居ては一生意識することのない人生の最前線に立ったことは事実だ。

彼女はどこかで Black music を聞いただろうか? 今、上海のクラブで踊っているかも知れない・・・。

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カテゴリー: Movie