阿木譲のDJ、Hard Swing Bop の過激に熱い夜

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14日の夜、大阪中央区南本町の jaz’room nu things でのイベント『”Hard Swing Bop” Groove setter by AGI yuzuru』はとてもショッキングな一夜だった。帰宅してから、まだほてった体のあいだに、この記事を書こうと思ったがひどい疲れでダウンしてしまった。日中は仕事に忙殺されて、やっと、過激に熱い一夜が記録できる。
20時30分から24時30分の4時間、瞬時の途切れもなく、アップテンポでセレクトされたハードバップの圧倒的音量が nu things の地下空間を満たしつづけた。50年代半ばから約10年間のブルーノートの音源だ。聞き慣れたアルバムも多いというのに、ぼくは未体験ゾーンに突き落とされてしまった。バップ、っていうのは、こうして聞くもんだ! まるで、阿木譲氏がジャズファンに向かって、啖呵を切っているような、すさまじいテンションの中でのDJプレイだった。

一般にモダンジャズと言うとき、それは知的なスパイスをきかせた、ソフィスティケートなサウンドをイメージしないだろうか。50年代のモダンジャズを指すときには、特にその傾向が強い。そんなサウンドが優しく空間を包み込む・・・といったどこにでもありがちなジャズクラブとは、この夜の nu things は一線を画していた。硬質で大音量のバップ・サウンドが空間を切り裂いて、迫って来る。間断ないサウンドの攻撃に身構え続けなければならなかった4時間だった。

40年代後半、白人階層だけを楽しませるための演奏ではなくて、黒人の黒人のためのジャズが生まれた。ビバップだ。50年代半ば、それが洗練されてハードバップと呼ばれるようになり、黒人はもとより知的な白人層からも支持を得る。60年代に入ると、ハードバップが衰退し、ジャズはより先鋭的なフリー・ジャズと大衆にマーケットを求めるファンキー・ジャズに分化していく。だから、現在の視点から、もっともジャズらしいジャズとして50年代ジャズがノスタルジックに語られるようになった。土臭いファンキーとか気違い沙汰のフリーじゃない正統的なモダン・ジャズを50年代のサウンドに現代人は求めた。

しかし50年代、ビバップやハードバップをプレイするバッパーたちは、現代人が期待するようなジャズの正統的プレヤーだったのだろうか。この夜のバップ4時間連続再生に身を置けば、そんなことはなかったと認識させられる。彼らのエモーションは高度に知的に抽象化されたサウンドで送り届けられる。ブルースやロックのように、情緒が直接届けられるわけではない。モダンジャズという響きの良い言葉で満足するとき、バッパーの真のエモーションは見えてこない。

どこかノスタルジックで、アイロニーな雰囲気を満足させてくれる。そう、手っ取り早く言うなら、気取った大人の気分にさせてくれるモダンジャズ・・・そんな手あかのこびりついたモダンジャズとしてではなくて、バップというスタンスから50年代、60年代のアルフレッド・ライオンのブルーノート・サウンドを見直して見る、という夜だと感じだ。

DJプレイも深夜に入る頃、こんな風にぼくが考えている前で、若者たちがバッブのアップテンポなリズムに合わせてダンスを始めた。ぼくは本当に驚いてしまった。ぼくはバップを受け止めるのに必死というのに、ダンサーは形容しがたい素早いステップを踏み、バップと融合している。ぼくは30年以上も前は、ジャズ喫茶というどこか聖域のような空間でモダンジャズを聞いていた。もちろん、会話さえ抑制されていた中で、ダンスなど思いもよらないが・・・それから30年、うーん、バップで踊るか! 時代は変わり続けているんだ。と気づくと、ちょっと老け込んだ気分に陥ってしまった。うーん、しゃあーないヮ。

いや、1980年代半ばにはロンドンのクラブから50年代ジャズでのダンスが始まったと本で読んだ。この夜とそのロンドンがどう違うのか、ぼくには全く分からない。ただ、この夜は、アフリカンやボッサ、オリエンタルなリズムは意図的に排除されていたようだ。あくまでストレートなバップに終止した。最後にこの夜に流されたアルバムのリーダー名を列記したい。レコード・ジャケットの記憶にあるままで、曖昧な記憶はカットしているので、実際はもっと多いということになる。すべて、ブルーノート・アルバム。

一番多かったのはハンク・モブレー、次いでリー・モーガン。あとは、1枚から数枚・・・ケニー・ドーハム、ポール・チェンバース、ルー・ドナルドソン、ソニー・ロリンズ、サド・ジョーンズ、クリフ・ジョーダン、ジョン・コルトレーン、ホレス・シルバー、デューク・ジョーダン、ソニー・クラーク、レオ・パーカー、サム・リヴァース・・・など。リーダー作はないが、ウィントン・ケリー、アート・テイラーは数多くに参加しているはず。そして、アルバムは1枚だけだったが、サイドメンとしてはほどんどに参加しているはずのポール・チェンバースのサウンドには再認識させられた。彼はハードバップの要か。

曲順は、録音年、レコード番号、プレーヤ、楽器等による関連付けは一切なし。ひらめきのままだったのでしょうか?