大阪天満署前(6日)

今夜(6日)も大阪市役所前の瓦礫広域処理反対の抗議活動から、天満署前の不当逮捕抗議行動に行ってきた。天満署前の先週、マイクを通して「トランスジェンダー」だとカミングアウトした人がいた。警察官が居並ぶ前での発言だった。それを目の前で目撃するのはとても新鮮な驚きだった。映画『MILK』のワンシーンを彷彿とさせる新鮮な光景だった。

その映画は70年代のサンフランシスコでゲイであることを公表した政治家ハーヴィー・ミルクの活動の始まりから銃弾に倒れるまでが描かれている。映画の冒頭は警官がゲイたちを逮捕しまくる当時の実写らしい生々しい映像だった。つまり、あの頃はゲイであることが罪人だった。

トランスジェンダーの人は今夜も天満署前に居て、セクシャルマイノリティが警察により罪人にされていく現実をマイクを通して語った。ぼくはその世界に暗いので驚いて話しを聞いていたが、少し考えてみれば納得できる話しだ。マイノリティを追い込むように後押ししているのは多くの一般の人々だろう。

ぼくもまたマジョリティの一人としてマイノリティの囲い込みを担っているのかもしれない。部屋から一歩外に出ることで、こうしたことに気づかされる。瓦礫広域処理に反対する場に立って、自分が内部被曝により、被曝者になる可能性を感じるが、それはマイノリティの意識だと思う。そして、それは当事者意識に違いない。

多数派は当事者意識から遠くに身を置く。それがこの息苦しいほどの不寛容な空気を作り、多様性はますます忌み嫌われていくんだろうな。