知らなかったけど、東京ではいろいろな政治運動が起こっているらしい。以下のものを本書から拾った。
1992年から「渋谷・原宿生命と権利をかちとる会(通称・いのけん)
1995年新宿ダンボール村
1996年代々木公園レイブシーン
2003年イラク反戦のサウンドデモ(芝公園、東京)
2003年ごろの下北沢の再開発反対運動
2005年からの高円寺の「素人の乱」
2007年発足の渋谷駅周辺を中心に活躍する二四六表現者会議
2008年から09年の年越し派遣村
2008年からの宮下公園の有料化計画反対運動
著者はこれらの運動を「ストリートの思想」と言っている。60年代の左翼運動とはっきりと区別するためらしい。大学とストリート、労働組合とフリーター、新聞・論壇誌の著名な学者とインターネットの無名の論客。違いは大きい。
この大きな変化を政治状況や社会状況、また音楽シーンまでもからめて説明している。湾岸戦争(1991)、阪神淡路大震災(1995)、地下鉄サリン事件(1995)、9.11同時多発テロ(2001)などで変わる政治状況。橋本政権(1996)が敷いた新自由主義路線を小泉政権(2001)がさらに押し進めて格差が固定する。貧困が自己責任ではなくて構造化することでストリートが顕在化していく過程が描かれる。
そのストリートは音楽シーンの理解が不可欠らしい。90年代、0年代のストリートは80年代のパンクからヒップホップ、レイブ文化の延長にあるという。とりわけ、80年代初期の「EP-4」と「じゃがたら」が重視されている。彼らの音楽が資本の流れに沿った「反動的ダンスカルチャー」と対峙する「対抗的ダンスカルチャー」の始まりと言うわけ。
ぼくは80年代始めに、EP-4のライブを聞いている。それは大阪梅田で、営業を終えたブティックを会場にした真夜中のライブだった。ディスコは何度か行っていたが、それは商業資本に踊らされているようで余り好きでなかった。EP-4のライブではカラダが自然に動いていた。今から思うと、90年代に起こったクラブシーンを先取りしていたのかもしれない。
その時、ライブハウスではなくて、ずいぶんとオシャレな場所を選んだぐらいにしか思わなかったけど、あの「場」はEP-4のリーダー佐藤薫の「ストリートの思想」だったのだと、本書を読んで思う。
ちなみに、本書を知ったのはネットのUstreamのライブ配信、10月7日のDommuneだ。その夜、EP-4の佐藤薫が25年振りに公の場に出て来た。隣に毛利嘉孝が座っていて本書を読みたいと思ったわけ。読んで、ほんとに良かった。ぼく自身の種々の私的な出来事を本書の記述にあてはめることで、点と点がつながって線となるようだった。