とても長い小説のわりには、早く読んでしまった。退屈なエピソードは飛ばし読みしつつも、全体のストーリー展開に引きづり込まれてしまった。確かにおもしろいが、主人公がある時から霊的な能力を持つなど、話にリアリティが感じられなく、小説に共感できなくもあった。だから、単におもしろいだけを求めているだけだったら、途中でやめていたと思う。
この小説を読むきっかけが、この小説には戦争加害のトラウマが描かれている、というサイコロジストの書いたものを読んだからだった。そこには、その存在を指摘しているだけで解説はないので、ぼくにはよく分からないのだけど、とても気になって、読み始めた。
戦争加害のトラウマへの関心がなかったら途中でやめていたと思う。第3部に入ると、このことがある程度明らかになっておもしろかった。でも、様々な記憶や出来事が錯綜しつつ小説になっているので、一度の通読では何が戦争加害のトラウマなのか、正直ぼくにはよく分からない。
話しは、無理につじつまを合わせてるようにしか思えないストーリー展開とも感じられた。でも、それは著者が戦争加害のトラウマを表現しようとするところから導き出された手法ならと好意的に思って読んだ。つまり、ぼくはよくわからないままにも、戦争加害のトラウマという点に関しては、著者から強い影響を受けたのかもしれない。
ぼくの幼い頃は戦争体験の話で満ち満ちていた。それは戦地での苦しい話ばかりだった。今から思うと、戦争体験を語る大人たちは中国大陸や南方から復員してまだ10年も経っていなかったということに驚く。当時の幼いぼくは、生まれる前の遠い昔の戦争ぐらいにしか感じていなかった。今、この歳になると、10年にもならない記憶なんて、昨日のこととほとんど変わりないよね。
テレビもなかった時代で、人が集まると戦争体験が繰り返えされ、幼いぼくはその輪の中にいた。大人たちは延々と、酒の酔いもあるが話そのものに酔い、軍歌の合唱になった。そんな、いつか忘れるだろと思っていた記憶が年ごとに強くなる。まもなく終戦記念日がくる。いいタイミングで『ねじまき鳥クロニクル』を読んだと思った。