8日深夜の12時過ぎにクラブに入って、8時過ぎに出た。8時間はそれほど長く感じなかったけど、カラダ的にはキツい(笑)。案の定、9日はほとんど寝ていた。起きてもボケーっと過ごしてしまった。休憩しながらの8時間だけど、さすがに後半は疲れで、もうろうとし、膝も痛かった。それでもフロアーに立っていたけど、音楽の魔力みたいなもんに捕まってる感じだった。
この夜のパーティは、DJ Kihira Naoki のベルリンツアーからの帰国第一弾。タイムテーブルを見たら、一番にプレイしてる! 最初のプレイを聞き逃したけど、しゃーないわ。12時過ぎでも慌ててクラブに入ったんだから。入ったときは、DJ Katagiri。2時になってKihiraのプレイに踊らされた。記憶が飛んでて、どんなんだった覚えていない。
4時になって、DJ Ooshima Shigeru に変わっからも夢中で踊ってたんで、はっきり覚えてない。ただ、Ooshimaがサックスとジャンベで組み立てたときは、不思議な気持ちに包まれた。ぼくは何十年もジャズを聞いてたから、こんなサウンドにはメロメロになってしまう。その後、上げていって、そのままKihiraに引き継いだのは7時を回ってたな。そこから終わるまでの怒濤のプレイがすごかった。8時を過ぎて終ったが、帰らない客を前に再び始めた。でも、ぼくはもうついて行けずにクラブを出た。
『ダンサー・フロム・ザ・ダンス』(アンドリュー・ホラーラン著)というニューヨークのエイズ直前のゲイコミュニティの狂気と絶望を描いた大好きな小説があるんだけど、扉にイェイツの「小学生たちのなかで」という詩の最後の節の引用が載っている。ちょっといいので以下に書きます。
魂を喜ばせるために肉体が傷つくのではなく、
おのれに対する絶望から美が生まれるのはなく、
真夜中の灯油からかすみ目の智慧(ちえ)が生まれるのでもない、
そんな場所で、労働は花ひらき踊るのだ。
おお、橡(とち)の木よ、大いなる根を張り花を咲かせるものよ、
おまえは葉か、花か、それもと幹か。
おお、音楽に揺れ動く肉体よ、おお、輝く眼(まな)ざしよ、
どうして踊り手と踊りを分つことができようか。
『対訳 イェイツ詩集』(高松雄一編、岩波文庫)
最後の2行はまるで今のクラブを描いているみたいだが、イェイツは19世紀のアイルランドの文学者。ぼくはこの手の古典に趣味はないんだけど、カミさんが持っているので読んだわけ。上記のゲイ小説のタイトルはこの最後の行の
How can we know the dancer from the dance ?
から取られている。もちろん、その小説には70年代NYのディスコシーンがたくさん出てくる。
この場合のダンサーは詩にしても小説にしても象徴として使われているんだけど、詩の最後の2行はクラブシーンで体感することができると思う。といっても、4時間ぐらいじゃダメだ。やっぱり6、7時間を超して、カラダがぼろぼろになってくるあたりから、感じらることじゃないかナ~と、808地下茎のフロアを振り返って思った。