イングマール・ベルイマン監督の評価の高い作品だが、あまりおもしろくない。もう、何度か見ているが改めて見て、やっぱりおもしろくなかった。正確には、やっぱり分からなかったと言うべきだと思う。『第七の封印』直後に作った『野いちご』は十代で最初に見たときからおもしろかった。『野いちご』は老いが主題だったから、程度の差はあれ理解できる。しかし『第七の封印』はキリスト教の生と死の問題を扱っているので、日本人の死生観とはかけ離れて過ぎているので、ぼくにはついて行けないのが本音だろう。
この作品を紹介する際に使用される写真は、死神とチェスをする主人公の騎士、もしくはラストシーンの丘の上を死神に導かれて踊りながら遠ざかるというものだった。それらイメージからこの映画に対して陰鬱で耽美な世界を勝手に想像してしまう。そう、イエジー・カワレロウィッチ監督の『尼僧ヨアンナ』のような映画だ。『尼僧ヨアンナ』は悪魔が主題の映画で、生と死ではない。悪魔の方が分かりやすいとはいえ、同じキリスト教世界観の話で、ぼくがどこまで理解できているのか分からない。
この『第七の封印』には『尼僧ヨアンナ』に見られためくるめく耽美なシーンはほんの少ししかない。大部分は、気のいい軽業師とその美しくて明るい妻、そして可愛い赤ん坊の陽気な一家と過ごす騎士のシーンだ。この庶民性を代表する一家の存在がつまらない。キリスト教的死生観を考えるならとても重要なシーンなんだろうが、ここのところにぼくは違和感をもってしまう。
日本的な死は受け入れるものであり、死神とチェスで対峙するシーンに象徴されるように死と対峙する感覚からとは違うのだろう。しかし、仏教的な考え方が希薄になると同時にグローバル化の進行で、日本人も自分の死と対峙することになるのは時の流れじゃないかとも思った。もう10年も経って見れば、おもしろく見られるかもしれない。